塩田良平(読み)シオダ リョウヘイ

20世紀日本人名事典 「塩田良平」の解説

塩田 良平
シオダ リョウヘイ

昭和期の国文学者,随筆家 日本近代文学館理事長;元・二松学舎大学学長。



生年
明治32(1899)年5月25日

没年
昭和46(1971)年11月28日

出生地
東京市麴町区隼町(現・東京都千代田区)

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部国文科選科〔大正15年〕卒

学位〔年〕
文学博士(大正大学)〔昭和30年〕「樋口一葉の研究」

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章

経歴
大正15年に卒業してから私立大学一本で通し、昭和3年二松学舎専門学校教授、24年二松学舎大学長、26年大正大教授、35年立教大日本文学科長、42年ハワイ大学太平洋語科客員教授、43年実践女子大教授などを歴任。この間、37年日本近代文学館設立準備委員となり、38年常務理事、44年理事長に就任。文部省国語審議会委員や日本近代文学館第3代館長も兼任した。近代文学が専門で、代表的な著書に「近代日本文学論」「山田美妙研究」「樋口一葉研究」「樋口一葉」「明治女流作家論」「明治文学論考」「日本文学論考」、随筆集「妻の記」「おゆき」「夜開花」などがある。東京の下町の医師の家庭に育った生粋江戸っ子和服の愛好者で、ほとんど着流し姿だった。平成元年蔵書や資料類が近代文学館に寄贈され、“塩田良平文庫”として一括保存された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塩田良平」の解説

塩田良平 しおだ-りょうへい

1899-1971 昭和時代の国文学者。
明治32年5月25日生まれ。二松学舎専門学校,大正大,立大などで教鞭(きょうべん)をとる一方,片岡良一(よしかず),湯地孝らと明治文学会を創立。樋口一葉,尾崎紅葉,山田美妙らの実証主義的研究,全集編集に従事した。昭和46年11月28日死去。72歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「樋口一葉研究」「明治女流作家論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「塩田良平」の解説

塩田 良平 (しおだ りょうへい)

生年月日:1899年5月25日
昭和時代の国文学者;随筆家。日本近代文学館理事長;二松学舎大学学長
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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