境鉄山融通会所跡(読み)さかいてつざんゆうずうかいしよあと

日本歴史地名大系 「境鉄山融通会所跡」の解説

境鉄山融通会所跡
さかいてつざんゆうずうかいしよあと

[現在地名]境港市大正町

天保六年(一八三五)、境村西端の境水道沿岸に設けられた鳥取藩の鉄荷流通機関。藩の産物中の重要物品である日野郡・会見あいみ郡の産鉄をここに納め、藩の交易として諸国へ積出された。

文政六年(一八二三)の産物方仕方廃止以後、鉄の領外移出は鉄山師が個別に行っていたとみられるが、当時自力で大坂へ廻鉄できる鉄山師は少なく、多数の中小鉄山師は積出港の鉄問屋に依存しなければ出荷できない状態であった。こうした状況の下、天保四年日野郡狩屋原かりやばら(現日南町)の順之右衛門、同郡上阿毘縁かみあびれ(現同上)の松田屋彦兵衛の二人は、境湊に鉄問屋支配を仰せ付けられるようにと藩へ願出た。その要旨は、(一)鉄山経営には多額の資金を必要とするが、藩の援助が中絶して鉄山師の経営状態が悪くなっている、(二)そのうえ米子の鉄問屋の為替銀等の取計らいが不行届きのため米子湊への入船が少なくなっている、(三)鉄山師一統はやむなく出雲国の安来湊へ出荷している、(四)他国湊への出荷は様々な面で不利益を被り一統難渋しているというものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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