改訂新版 世界大百科事典 「壕越二三治」の意味・わかりやすい解説
壕越二三治 (ほりこしにそうじ)
江戸中期の歌舞伎作者。生没年不詳。俳名菜陽。初世沢村宗十郎門弟。1745年(延享2)沢村二三次(治)の名で江戸市村座に二枚目作者として初出勤。49年(寛延2)市川団十郎の本姓である堀越と改姓。浄瑠璃の作詞などで活躍,人気作者となる。52年(宝暦2)上京し好評を博す。江戸に帰り壕越と改姓,常磐津の《芥川紅葉柵(あくたがわもみじのしがらみ)》を書く。これが江戸の顔見世狂言に豊後節の所作事の一幕を取り込む濫觴(らんしよう)とされる。65年(明和2)一時俳名菜陽を筆名としたあと67年から劇界を退き,剃髪して隠居となる。71年再勤して,若手の作者と合作。81年(天明1)以後劇界から消える。藤本斗文(とぶん)とともに宝暦期(1751-64)の江戸作者を代表。時代狂言のなかに世話の趣向を取り込み,語り物の様式的な言葉のなかに俗語を配した菜陽風をつくりだす。大通(だいつう)や戯作者に呼応した高踏的な文人気質を江戸作者のなかに確立する。《将門装束榎(まさかどしようぞくのえのき)》など当り作が多いが,台本が伝わるのは《由良千軒蟾兎湊(ゆらせんげんつきのみなと)》など2作。常磐津の《松似候男姿(まつににてそろおとこすがた)》《花吹雪富士菅笠(はなふぶきふじのすげがさ)》などをのこす。
執筆者:古井戸 秀夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報