藤本斗文(読み)ふじもととぶん

改訂新版 世界大百科事典 「藤本斗文」の意味・わかりやすい解説

藤本斗文 (ふじもととぶん)

歌舞伎作者生没年不詳。はじめ初世沢村宗十郎門下役者として出発,享保末年(1730年代前半)作者となり,宝暦(1751-64)中ごろまで活躍した。《戯財録(けざいろく)》が〈外題を色々曲を付けし始め。仕組名人〉と記すように,脚色や外題に工夫をこらし,新奇なものをねらった作風である。《初鬙通曾我(はつもとゆいかよいそが)》(1739)をはじめ作品は多いが,なかでも《男伊達初買曾我》(1753)は,台帳で残された狂言としては古いもので,演劇史上注目される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤本斗文」の意味・わかりやすい解説

藤本斗文
ふじもととぶん

生没年不詳。歌舞伎(かぶき)作者。名優初世沢村宗十郎(そうじゅうろう)門下として沢村斗文を名のり江戸・中村座に出勤。1737年(元文2)に藤本改姓。2世市川団十郎のために筆をとり立(たて)作者としての地位を確立、『助六(すけろく)』の台本を完成させる。52年(宝暦2)に当時一世を風靡(ふうび)した大谷広次中村助五郎の相撲(すもう)の狂言『赤沢山相撲日記(あかざわやますもうにっき)』を書くが、このころから俳優とトラブルをおこしたらしく、門人沢井注蔵の名前で狂言を書くようになり、宝暦(ほうれき)(1751~64)末に劇界を退き、明和(めいわ)(1764~72)末に消息を絶つ。台本は『男伊達初買曽我(おとこだてはつかいそが)』が今日まで伝わる。ほかに富本の『妹背鳥名所夕暮(いもせどりめいしょのゆうぐれ)』などを残す。

[古井戸秀夫]

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朝日日本歴史人物事典 「藤本斗文」の解説

藤本斗文

生年:生没年不詳
江戸中期の歌舞伎狂言作者。作者でもあった初代沢村宗十郎門下で,初名沢村斗文。役者から作者となり,元文(1736~41)初年ごろ,藤本と改姓,立作者となる。『役者全書』や『戯財録』などに指摘するように,新奇な趣向や工夫をこらした作品が多い。寛延2(1749)年中村座上演の「男文字曾我物語」は2代目市川団十郎の助六で,このときの浄瑠璃「助六廓家桜」は「助六」の舞台様式の定型を作った。また宝暦3(1753)年中村座の「男達初買曾我」で3番目に初演されたのが「京鹿子娘道成寺」。他に「頼朝軍配鑑」「初花隅田川」「百千鳥曲輪曾我」などの当たり狂言がある。<参考文献>河竹繁俊『日本演劇全史』,守随憲治『歌舞伎序説』

(安田文吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤本斗文」の解説

藤本斗文 ふじもと-とぶん

?-? 江戸時代中期の歌舞伎作者。
初代沢村宗十郎に入門,役者となるが,享保(きょうほう)の末ごろ沢村斗文と名のり作者に転じる。元文2年(1737)藤本と改姓し,立作者となる。脚色と趣向にたくみで,題名のつけ方にも工夫をこらした。宝暦中ごろまで江戸で活躍した。代表作に「男文字曾我物語」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤本斗文」の意味・わかりやすい解説

藤本斗文
ふじもととぶん

江戸時代中期の歌舞伎狂言作者。もとは3世沢村長十郎の門弟で沢村長作という役者。のちに作者に転向して沢村斗文となり,さらに藤本と改名。享保末から宝暦 (1735~55頃) にかけて江戸中村座で活躍。代表作は『初もとゆい通曾我 (はつもとゆいかよいそが) 』 (39) ,『男達初買曾我』 (53) 。

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世界大百科事典(旧版)内の藤本斗文の言及

【娘道成寺】より

…本名題《京鹿子娘道成寺(きようがのこむすめどうじようじ)》。作詞藤本斗文。作曲初世杵屋(きねや)弥十郎,杵屋作十郎。…

※「藤本斗文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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