デジタル大辞泉 「壺の碑」の意味・読み・例文・類語 つぼ‐の‐いしぶみ【壺の碑】 坂上田村麻呂が蝦夷えぞ征討の際、弓の筈はずで日本中央と書き記したといわれる石碑。青森県上北郡七戸しちのへ町坪地区あたりにあったと伝えられる。和歌などに詠まれる名所。のちに、宮城県多賀城の碑をも壺の碑とよんだ。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「壺の碑」の意味・読み・例文・類語 つぼ‐の‐いしぶみ【壺碑・壺石文】 青森県上北郡七戸町にあったと伝えられる古碑。坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐の時、弓の弭(はず)で日本の中央であることを書きつけたという。近世になって、宮城県の多賀城の碑が混同して、「つぼのいしふみ」と呼ばれるようになった。つぼのひ。[初出の実例]「陸奥の奥ゆかしくぞおもほゆるつぼのいしぶみそとの浜風」(出典:山家集(12C後)中) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の壺の碑の言及 【多賀城碑】より …宮城県多賀城市市川の特別史跡多賀城跡内の小高い丘にある碑。〈壺の碑(つぼのいしぶみ)〉ともいう。多賀城は,古代における陸奥国の国府のあったところで,奈良時代には鎮守府もあわせ置かれた。… ※「壺の碑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by