日本大百科全書(ニッポニカ) 「外交記録公開」の意味・わかりやすい解説
外交記録公開
がいこうきろくこうかい
外交に関し作成または取得後一定期間経過した文書を、一般に公開すること。国民の共有財産である外交記録を国民に正しく伝えると同時に、歴史学者や外交専門家らに研究資料を提供するねらいがある。日本では民主党政権が2010年(平成22)5月、作成後30年を経過した外交文書を原則自動的に公開する制度を導入した。例外的に非公開となるのは、個人情報に抵触する場合、国家の安全を損なう場合、他国や国際機関との信頼が損なわれたり、外交交渉に不利になる場合などで、非公開とするには外部有識者を交えた「外交記録公開推進委員会」の審査と外務大臣の了承を義務づけた。非公開文書は5年後に再審査する。また、重要文書の破棄など不適切な文書管理があった場合は処分も検討する。公開手続が済んだ文書は、外務省外交史料館(東京都港区麻布(あざぶ)台)で閲覧できる。
海外では外交文書の公開は広く制度化されており、特段の理由がない限り、作成から一定期間を経過した外交文書を自動公開している。日本も1976年(昭和51)から、作成後30年経過した外交文書の一部公開を始めた。しかし開示判断は事実上外務省にゆだねられ、多くの文書が非公開となっていた。公開頻度も当初は年2回であったが、年1回、2年に1回と次第に低下していた。この結果、1960年(昭和35)の日米安全保障条約改定や1972年の沖縄返還をめぐる日米密約文書について、日本政府が存在を公式に否定しながら、アメリカ国立公文書館では公開され、元外務省局長が密約文書作成の経緯を裁判で証言するという事態が起きていた。2010年4月には、ジャーナリストらが沖縄返還をめぐる日米密約文書の公開を求めた裁判で、東京地方裁判所は国側全面敗訴の判決を下した(翌2011年の東京高等裁判所の判決では原告側が敗訴)。一連の外交文書公開を求める流れを受け、2009年の政権交代後、民主党政権は自動公開ルールを外務省規則に明記し、公開に踏み切った。
[編集部]