サイダ(読み)さいだ(英語表記)Saida

デジタル大辞泉 「サイダ」の意味・読み・例文・類語

サイダ(Saida)

レバノン南西部、地中海に面する港湾都市ベイルートの南約50キロメートルに位置する。サウジアラビアパイプラインで結ばれ、石油の積出し港として重要な役割を担っている。古代フェニキアの都市国家シドンがあった場所であり、紀元前13世紀から前12世紀にかけて、交易の拠点として栄えた。旧市街には十字軍の城塞やオスマン帝国時代の隊商宿などが残っている。2005年に暗殺された元大統領ラフィーク=ハリーリー生地

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サイダ」の意味・わかりやすい解説

サイダ
さいだ
Saida

レバノン、ベイルートの南南西約40キロメートル、地中海に面する港湾都市。旧称シドンSidon。人口14万9000(2003推計)。シドンの名は、紀元前三千年紀後半のバビロニア史料にさかのぼり、ウガリト文書、アマルナ文書、『旧約聖書』にみえ、下って『新約聖書』には、イエスが同地を訪ねて説教したことや、使徒パウロがローマへ行く途中寄港したことと関連して言及されている。同地は古代のフェニキアの最古の都市の一つであった。ガラス、染色工芸などに優れ、前二千年紀後半には地中海、エーゲ海交易で繁栄し、しばしば姉妹都市ティルスと覇権を競った。ヘレニズム時代にはガラス工業の中心地の一つとして栄え、前1世紀ごろ同地で吹成法によるガラス器の製法が発明された。諸国に征服され服属しながらも、その交易の拠点としての重要性は十字軍時代まで続き、沿岸に城塞(じょうさい)も築かれた。17世紀以後はトルコの支配下にあって商業都市としての繁栄を取り戻した。地下墓室から発見されたアレクサンドロス大王浮彫りのある石棺はとくに有名である。

 1963年以降の発掘調査によってフェニキア・ローマ時代の遺構・遺物が発見されている。1950年からサウジアラビアのダーラン油田とパイプラインで結ばれ、ヨーロッパへの石油の積出し港として重要な役割を果たしている。柑橘(かんきつ)類、バナナなどの農産物集散地でもある。

[高橋正男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サイダ」の意味・わかりやすい解説

サイダ
Saïda

アルジェリア北西部の都市。同名県の県都。オラン南東約 110km,標高 840mに位置する。天然の要塞で,ローマ時代の築城以来の重要な軍事基地。 1844年,民族の英雄アブドゥル・カーディルが,侵攻してきたフランス軍を前にこの城を焼いたが,54年フランス軍が再建,鉄道の開通とともに重要な拠点となった。付近は牧畜を主とする豊かな農業地帯で,町では畜産物,羊毛,ワイン,皮革をはじめ,穀類,ブドウ,野菜などの集散と,醸造,製粉,セメント生産などが行われる。人口8万 825 (1987推計) 。

サイダ
Sayda

ギリシア語ではシドン Sidōn。レバノン南西部,南部レバノン県の行政中心地で,地中海に面する港湾都市。ベイルートの南南西約 40kmに位置する。古代フェニキアの最も古い都市の一つで,前3千年紀に創設され,前 15~13世紀には地中海,エーゲ海貿易で繁栄。この時代以後の遺跡も多い。 1950年からサウジアラビアの油田とパイプラインで結ばれ,石油の積出港となり,巨大な石油タンクが並ぶ。柑橘類,バナナなど周辺地域の農産物を集散し,漁業も盛んである。人口3万 8000 (1988推計) 。

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