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湛慶 たんけい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

湛慶
たんけい

[生]承安3(1173)
[没]建長8(1256)
鎌倉時代の仏師。運慶の長男。建久年間 (1190~99) ,東大寺再興の造仏事業に祖父康慶,父運慶を助け,興福寺北円堂の造像に名を連ねた。建暦3 (1213) 年に法勝寺塔の造仏により法印昇叙。父運慶の後継者として七条仏所を率い,多くの造仏に従う。代表的な作例としては高知,雪蹊寺の『毘沙門天尊像』 (法印時代の作) ,建長3 (51) ~6年に造立した現存の三十三間堂の中尊『千手観音像』などがある。そのほか建保6 (18) 年東大寺東塔の仏像,貞応3 (24) 年醍醐寺の『泰山府君像』『五道大臣』,同年高山寺の『善妙神像』,嘉禄2 (26) 年父運慶の菩提のために浄蓮華院の『阿弥陀像』,喜禎3 (37) 年高野山大門の『仁王像』などを造立し,康元1 (56) 年東大寺講堂の『千手観音像』造立中に没した。技量は運慶に及ばなかったが,堅実で温和な作風が特色。

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デジタル大辞泉の解説

たんけい【湛慶】

[1173~1256]鎌倉時代仏師。運慶の長男。法印にのぼる。父没後は慶派主宰代表作に三十三間堂の千手観音坐像などがある。

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百科事典マイペディアの解説

湛慶【たんけい】

鎌倉時代の仏師。運慶の長男。父の死後一門の棟梁(とうりょう)として活躍,運慶の完成した様式をさらに洗練させた写実的作風が特色。蓮華王院千体千手観音像(三十三間堂)の再興には諸派の仏師を率い,自らも中尊像と数体を造った。
→関連項目慶派康円蓮華王院

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

湛慶 たんけい

1173-1256 鎌倉時代の仏師。
承安(じょうあん)3年生まれ。運慶の長男。父とともに東大寺,興福寺の復興造仏に従事。また高野山の金剛力士像,京都蓮華王院(れんげおういん)(三十三間堂)本堂の中尊千手観音像なども制作した。法印。建長8年5月19日死去。84歳。

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世界大百科事典 第2版の解説

たんけい【湛慶】

1173‐1256(承安3‐康元1)
鎌倉初期の慶派の仏師。運慶の長男で,父なきあとの七条仏所(仏所)を主宰して活躍した。彼の作は運慶の豪快さには欠けるが,洗練された温雅な表現をとり,いかにも手がたい作品である。若年のころから父に従って興福寺や東大寺の復興造像にたずさわったのをはじめ,教王護国寺(東寺)中門,同南大門,法勝寺塔,醍醐寺閻魔堂のほか,高山寺,高野山などで造像し,晩年には蓮華王院(三十三間堂)千体千手観音の再興造立の主宰仏師となり,1254年(建長6)中尊像を完成している。

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大辞林 第三版の解説

たんけい【湛慶】

1173~1256) 鎌倉時代の仏師。運慶の子。洗練された温和な作風をもち、三十三間堂の千手観音、雪蹊寺の毘沙門天三尊などを造った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

湛慶
たんけい
(1173―1256)

鎌倉時代の慶派の仏師。運慶の長男で、1213年(建暦3)に法印に叙せられ、父亡きあとの慶派を主宰して活躍した。彼の作は運慶の豪快さには欠けるが、洗練された温和な表現をとっており、手堅い表現が特色である。若年より父に従って奈良の興福寺および東大寺の復興・造像に携わったのをはじめ、東寺、法勝(ほっしょう)寺、醍醐(だいご)寺、高山寺、高野山(こうやさん)などで造像し、晩年蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)千体千手観音(せんじゅかんのん)造立の主宰仏師となり、1254年(建長6)には中尊の千手観音坐像(ざぞう)を完成した。これは湛慶在銘の千体観音中の数体とともに現存している。また高知市雪蹊(せっけい)寺の毘沙門天(びしゃもんてん)三尊像(年代不詳。法印時代の晩年の作と思われる)も数少ない遺作の一つである。建長(けんちょう)8年、蓮華王院造仏が未完成のうちに84歳で没した。[佐藤昭夫]

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世界大百科事典内の湛慶の言及

【鎌倉時代美術】より

…康勝が一瞬の動態を写生的にとらえた空也上人像(六波羅蜜寺)を,定慶が宋代彫刻の過度の写実をとり入れた聖観音像(鞍馬寺)をつくったのはこの時期である。なかんずく運慶の長子湛慶は運慶の力動感あふれる存在性と快慶の絵画的あるいは説明的ともいえる写実とを調和させた様式を確立し,1251‐54年(建長3‐6)に蓮華王院本堂(三十三間堂)の復興造仏を成し遂げた。その本尊の千手観音像と二十八部衆像の一群はまさに一時期を画するものである。…

※「湛慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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