薬勝寺(読み)やくしようじ

日本歴史地名大系 「薬勝寺」の解説

薬勝寺
やくしようじ

[現在地名]砺波市安川

和田わだ川共同水路の西岸にある。芹谷野せりだにの段丘を背にしてその中腹に西面して建ち、深い森に包まれている。般若山と号し、臨済宗国泰寺派、本尊釈迦如来。延文四年(一三五九)京都建仁けんにん寺五三世の桂岩運芳を招請開山として開創されたという(三州寺号帳)。桂岩は法灯国師の孫弟子にあたる。開創時に桂岩は当地に来ていないが、歴住の最初は師運良が放生津ほうじようづ(現新湊市)に開いた興化こうげ寺であったから、越中は懐旧の地であったはずである。二世玉岩は加賀伝灯でんどう(運良開基)から入っているが、三世文坡(明応六年没)以降一三世澄月(慶長二〇年没)までは国泰こくたい(現高岡市)の歴代が入っており、当寺は国泰寺の隠居寺であった。


薬勝寺
やくしようじ

[現在地名]小杉町下条

火宮ひのみや城跡の一画にあり、隣接して日宮ひのみや社がある。木尾山と号し、本尊釈迦如来。高野山真言宗。越中観音霊場第一四番札所(稿本越の下草)。創建時は現橋下条はしげじよう小学校北側の小字寺田じでんにあったと伝える。貞享二年寺社由緒書上に、建立年は不明だが紀州高野山如法の草創とあり、その後、火宮城主神保長職が天文二一年(一五五二)祈願所と定め、屋敷・寺領などを寄付したと記す。しかし上杉謙信の越中進攻の兵乱で、堂宇・伽藍・付物等を焼失、長職の寄進状も失われたという。その後貞享三年(一六八六)慧雲が現在地に寺基を移した(寺蔵文書)。享保八年(一七二三)ろつヶ用水の開発責任者十村寺林弥三兵衛方連らは、事業の無事完遂を願って当寺住持識田に祈祷を依頼、同一三年工事が無事完了し、報恩感謝の永代大般若経の転読を誓っている(寺蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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