朝日日本歴史人物事典 「大内教弘」の解説
大内教弘
生年:応永27(1420)
室町時代の武将。幼名六郎。新介と称す。官途は左京大夫,大膳大夫。築山殿と呼ばれた。盛見の子。持世の死後,大内氏の家督を継ぎ,周防・長門・豊前の守護となり,のちに筑前守護も兼ねる。山口市中で夜中に大路を往来することなどを禁じた法令や家臣団関係の法令を出し,領国支配を強固なものにし,明,朝鮮とも交渉があった。寛正6(1465)年,幕府の命に背いて伊予の河野通春に味方し,幕府方と戦う。同年9月3日,伊予国興居島の陣中で病死した。<参考文献>近藤清石『大内氏実録』,御薗生翁甫『大内氏史研究』
(佐伯弘次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報