大内教弘(読み)おおうち のりひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大内教弘」の解説

大内教弘 おおうち-のりひろ

1420-1465 室町時代の武将
応永27年3月20日生まれ。大内盛見(もりみ)の子。一説大内持盛の子。大内持世の跡をつぎ周防(すおう),長門(ながと),豊前(ぶぜん),筑前(ちくぜん)の守護となる。対外貿易を拡大,築山殿造営。雪舟等楊を山口にまねいた。寛正(かんしょう)5年伊予(いよ)(愛媛県)に出陣,河野通春をたすけて細川勝元とたたかい,寛正6年9月3日興居(ごご)島の陣中病死。46歳。幼名は六郎。通称は新介。

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367日誕生日大事典 「大内教弘」の解説

大内教弘 (おおうちのりひろ)

生年月日:1420年3月20日
室町時代の武将;周防・長門・豊前の守護
1465年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大内教弘の言及

【大内氏】より

…中世の西中国の雄族(図)。百済聖明王第3子琳聖太子が周防国多々良浜に着岸,聖徳太子より大内県を采邑とし多々良の姓を賜ったと伝える。鉄製錬技術をもち半島から帰化した氏族であろう。12世紀中葉から周防在庁の有力者で盛房以来周防権介を世襲し大内介と称した。13世紀後半惣領家は在国司ほかの要職を,庶家の問田(といた)・右田(みぎた)・鷲頭(わしず)の諸家も在庁の要職を保持し,同時に鎌倉御家人で六波羅評定衆。…

※「大内教弘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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