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築山殿 つきやまどの

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

築山殿
つきやまどの

[生]?
[没]天正7(1579).8.29. 岡崎
江戸幕府初代将軍徳川家康の室。鶴姫。今川氏の一族関口親永の娘。今川義元の養女となり,弘治3 (1557) 年家康が今川氏の人質のとき,駿河で結婚。家康より 10歳年長という。家康との間に,1男 (信康) ,1女 (亀姫,奥平信昌夫人) があった。

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デジタル大辞泉の解説

つきやま‐どの【築山殿】

[1542~1579]徳川家康の正室。今川氏の一族関口義広の娘。今川氏の人質であった家康に嫁して二子をもうけたが、のち、武田勝頼に内通したとして織田信長にとがめられ、家康の命により殺された。駿河御前

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

築山殿 つきやまどの

1542-1579 織豊時代,徳川家康の正室。
天文(てんぶん)11年生まれ。今川義元の姪(めい)。弘治(こうじ)2年に結婚。徳川信康,亀姫を生む。信康とともに武田勝頼と内通したと織田信長に嫌疑をかけられ,天正(てんしょう)7年8月29日家康の家臣により暗殺された。38歳。通称は瀬名姫,駿河御前。

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朝日日本歴史人物事典の解説

築山殿

没年:天正7.8.29(1579.9.29)
生年:生年不詳
徳川家康の正室。今川義元の重臣関口親永(氏広)の娘。母は義元の妹で,義元の姪に当たるといわれる。生年には諸説がある。瀬名姫,駿河御前などとも称される。駿府の今川家に人質としてとどめられていた家康(当時松平元康)と結婚,長男信康,長女亀姫(加納御前)を儲ける。義元の戦死後,家康が本領の岡崎に戻ったため,築山殿母子は一時今川氏の人質状態に置かれた。このことが家康との不和の原因になったとされる。家康が浜松へ移居したのちも,信康の後見と称し,岡崎城にとどまった。信康の妻徳姫(織田信長の娘)とも不仲で,築山殿と信康は,信長から武田勝頼と内通しているとの嫌疑をかけられ,信康は謹慎させられる。築山殿は家康の許へ弁明に赴く途中,遠江国富塚(浜松市)で家臣によって殺害された。墓所は西来院(浜松市)。

(久保貴子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

つきやまどの【築山殿】

1542‐79(天文11‐天正7)
徳川家康の室。今川氏の一族関口義広(一説に親永)の女で今川義元の姪。1556年(弘治2)家康に嫁し信康,亀姫を生む。62年(永禄5)岡崎に迎えられ,駿河御前とも,居住地築山にちなみ築山殿とも称された。70年(元亀1)家康が浜松城移転後は別居。79年武田勝頼への通謀を疑われ,織田信長に迫られた家康の命令で,8月29日遠江国敷智郡富塚(現,浜松市)で殺害された。【新行 紀一】

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大辞林 第三版の解説

つきやまどの【築山殿】

1542~1579) 徳川家康の正室。今川氏の一族関口義広(一説に親永)の娘。家康の長男信康を生むが、のち武田勝頼への内通を疑われて殺された。半月後、信康も自刃。駿河御前。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

築山殿
つきやまどの
(1542―1579)

徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し、のち信康・亀姫の一男一女をもうけた。後日、家康の独立に伴い、1562年(永禄5)迎えられて岡崎に移り、70年(元亀1)家康の遠江(とおとうみ)浜松移徙(いし)に際し、世嗣(せいし)信康の預かる岡崎にとどまった。79年(天正7)8月29日、武田勝頼(かつより)に内通したことを織田信長に咎(とが)められ、家康の命を受けた家臣野中重政(しげまさ)の手によって浜松の近在で討ち取られた。数え年38。法号は西光院(のち清池院に改む)、遠江清滝(せいりゅう)寺(静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)に葬る。[北原章男]

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世界大百科事典内の築山殿の言及

【徳川家康】より

…1549年(天文18)広忠の死後,今川・織田間の捕虜交換協定によってあらためて駿府に赴いた。55年(弘治1)義元の館で元服し義元の一字を与えられて元信と名のり,今川氏の一族関口刑部少輔の娘(築山殿(つきやまどの))と結婚した。58年(永禄1)ごろ元康と改名。…

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