徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し、のち信康・亀姫の一男一女をもうけた。後日、家康の独立に伴い、1562年(永禄5)迎えられて岡崎に移り、70年(元亀1)家康の遠江(とおとうみ)浜松移徙(いし)に際し、世嗣(せいし)信康の預かる岡崎にとどまった。79年(天正7)8月29日、武田勝頼(かつより)に内通したことを織田信長に咎(とが)められ、家康の命を受けた家臣野中重政(しげまさ)の手によって浜松の近在で討ち取られた。数え年38。法号は西光院(のち清池院に改む)、遠江清滝(せいりゅう)寺(静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)に葬る。
[北原章男]
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…1549年(天文18)広忠の死後,今川・織田間の捕虜交換協定によってあらためて駿府に赴いた。55年(弘治1)義元の館で元服し義元の一字を与えられて元信と名のり,今川氏の一族関口刑部少輔の娘(築山殿(つきやまどの))と結婚した。58年(永禄1)ごろ元康と改名。…
※「築山殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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