ラウラーナ
Luciano Laurana
生没年:?-1479
ダルマツィア地方(現,クロアティアの海岸地帯)で生まれ,イタリアで活動したルネサンス時代の建築家。その生涯と作品については不明な部分が多い。生年は1420年と25年の間とされる。マントバ,ペーザロを遍歴したのち,1465-72年ウルビノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロに仕え,パラッツォ・ドゥカーレの改修に従事,ファサード,居室部分,中庭柱廊等を建設し,工事を引き継いだフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニに大きな感化を残した。砲術技師としてナポリに赴き,カステルヌオボ城塞の建設にも関与したといわれる。晩年ペーザロの城塞ロッカ・コスタンツァを建設し,同地で没した。
執筆者:日高 健一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ラウラーナ
イタリアの彫刻家,建築家。イタリア国内だけでなくフランスでも広く活動,ルネサンス様式をフランスに伝えた点で重要。初期の伝記は不詳で,ナポリの凱旋門が年記のある最初の作品。彫刻ではパレルモのサン・フランチェスコ聖堂にある教父の浮彫群像のほか《バティスタ・スフォルツァの肖像》(1475年ころ,フィレンツェ,バルジェロ美術館蔵)などが知られ,晩年はフランスでメダイヨン作者として活動した。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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ラウラーナ
Laurana, Luciano
[生]1420頃.ダルマチア
[没]1479. ペザロ
イタリアの建築家。ダルマチア地方 (現クロアチア) の出身。 1465~72年,ウルビノ公フェデリーゴ・ダ・モンテフェルトロに招かれて,ウルビノのパラッツォ・ドゥカーレの建築監督をつとめ,双塔のあるファサード,中庭のギャラリーなどを設計。 76年以後,ペザロのロッカ・コンスタンツァを建造した。
ラウラーナ
Laurana, Francesco
[生]1430頃ダルマチア
[没]1502.3.12以前アビニョン
イタリアの彫刻家,メダル彫刻作家。シチリアからフランスのアビニョンにかけて活躍。肖像彫刻が多く,作品は彫刻『バティスタ・スフォルツァ夫人像』 (フィレンツェ,バルジェロ国立美術館) など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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