日本歴史地名大系 「大力村」の解説 大力村だいりきむら 福岡県:嘉穂郡嘉穂町大力村[現在地名]嘉穂町大力千手(せんず)村・東千手村の西に位置する。村内を古処(こしよ)山や千手の谷々から流れ出る千手川が北流する。蛇淵(じやぶち)山・笹原(ささはら)山があり、蛇淵山の雑木は東千手・大力両村掛り。集落は井手上(いでのうえ)一九・法泉寺(ほうせんじ)一・室(むろ)九・鍛冶屋(かじや)一〇・森原一一・柴原(芝原)六・松岡一・野鳥(のとり)二・上(かみ)ノ原(はる)五・下野鳥七・北ヶ迫二・笹原三・山神(やまのかみ)二・西野(にしの)二三・浦田二(「郷村鑑帳」秋月郷土館蔵)。「続風土記」は東畑(ひがしはた)村を枝村とする。江戸時代の領主の変遷は椎木(しいのき)村に同じ。慶長七年(一六〇二)の嘉麻郡大力村本田畠新田畠検地帳(九州文化史研究所蔵秋月黒田家文書)が残る。 大力村だいりきむら 大分県:豊後高田市大力村[現在地名]豊後高田市大力西流する都甲(とごう)川を挟んで松行(まつゆき)村・築地(ついじ)村の南に位置する。江戸時代の領主の変遷は高田(たかだ)村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高四二六石余、家数六八(うち百姓一五、隠居・名子・牛や・庭や五三)・人数一三八(うち百姓一五・名子三)、牛一五・馬一。正保郷帳では都甲庄に属し、田方二三七石余・畑方七七石余、半分日損所で茅山・柴山・新田がある。文化一〇年(一八一三)旱損により免の引下げを願出ている(「豊州別紙案伺書抜」元山文庫)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by