日本歴史地名大系 「都甲庄」の解説
都甲庄
とごうのしよう
- 大分県:豊後高田市
- 都甲庄
鎌倉時代と推定される弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書)には当庄は九〇町とみえるが、豊後国弘安田代注進状には「都甲郷拾町 同弥勒寺領、地頭御家人都甲左衛門入道西迎跡、同左衛門五郎惟親法師、法名寂妙、左衛門次郎惟房方者、守護所伝之」、豊後国弘安図田帳には「都甲荘七拾丁 宇佐弥勒寺領、地頭都甲左衛門入道西迎跡、子息五郎左衛門惟近相続云々法名寂妙、舎兄四郎左衛門惟信依無足参守護云々」とある。郷と庄の呼称の差は注進主体である国衙と守護所との表現の差である。二〇町歩の減を正確に裏付ける史料はない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報