大勘場村
だいかんばむら
[現在地名]利賀村大勘場
水無村の北、利賀川の峡谷沿いに約一里にわたって集落が点在する。下流は阿別当村で、同村まで一里三四町余(村々道程駄賃付「十村宅左衛門覚書」寿川区有文書)。東西両方は険しい山地ばかりで通路もない。垣内(枝村)は上流から順に大洞・桂尾・千束・中河内(中川内・中口とも)・田島と五ヵ所あり、本村は上流の奥地にあって奥大勘場ともいう。利賀道(羽根道)が通り、奥大勘場に口留番所が置かれていた。寛永七年(一六三〇)には高一三一石余、免三ツ六歩三厘(「検地見図帳並免定目録」川合家文書)。この高と免率は幕末まで変化なし。正保郷帳では大勘場村と中川内村が併記され、畑方のみで八町七反余。明暦二年(一六五六)以後、納所金子二〇両一匁七分余・塩硝役金子一両一匁八分余・手上金子一両余、蝋・漆・蓑・紙役金子一両一匁余、計二四両三分余を課せられており、この代銀一貫一一九匁三分余を夏成・冬成の両度に納めた(天保一〇年「草高免付百姓数品々帳」利賀村公民館蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 