奈良県北葛城(きたかつらぎ)郡地方の広瀬、窪田(くぼた)、箸尾(はしお)、小林などの村落を故地とした千秋万歳(せんずまんざい)。京阪地方を回勤圏(檀那(だんな)場)とし、広瀬はとくに宮中への参仕を許されていて、大正中ごろまで行われていた。由緒をもちながらも来歴は不詳で、現在は絶えたままである。太夫(たゆう)は扇、才蔵は鼓を持つが、服装はともに侍烏帽子(えぼし)、素襖(すおう)。大正の宮中参仕の記録では烏帽子、浄衣、浅葱(あさぎ)の指貫(さしぬき)、木靴である。このときは2組4人で、御所の庭で「柱立(はしらだて)」「田植舞」「えびす舞」などを二組の者が相舞(あいまい)の形で演じている。「田植舞」「えびす舞」は中世の囃子舞(はやしまい)の流れと思われるが、「柱立」は幕末に記された禁中千秋万歳の「言立(ことだつ)」であり、「南蛮胡椒舞(なんばんこしょうまい)」は同じく「京の町」と同類である。ほかに「十二月舞」「手ぶり踊」などの演目があった。
[西角井正大]
…万歳の宮中への参入は大正時代中ごろまであったといい,民間では第2次世界大戦ころまでは盛んであったが,戦後はしだいに衰微し,現在は全国をめぐり歩く万歳の姿はほとんど見かけなくなった。 民俗芸能として地域に残るのは〈尾張万歳〉〈越前万歳〉〈伊予万歳〉などで,〈三河万歳〉〈秋田万歳〉〈加賀万歳〉〈会津万歳〉〈豊後万歳〉は衰微し,〈大和万歳〉〈仙台万歳〉〈津島万歳〉〈伊六万歳〉,沖縄の〈京太郎(ちよんだらあ)〉は廃絶した(京太郎の芸系をひく民俗芸能は現存する)。 万歳は一般には太夫と才蔵の2人が一組になり,太夫が扇をかざし,いろいろとめでたい寿詞(ほぎごと)を言い立て,才蔵が小鼓を打ち囃して合の手を入れる掛合いで進行する。…
※「大和万歳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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