裁縫用具の一種。運針にさいして縫針の頭を押すために右手中指の第2節にはめて使う指輪。ふつう,革,金属,セルロイドなどの幅1~1.5cm,長さ6cmほどの小片をとじて作る。古くは錔,,鞜,鞢,指,指韜,指怐などと書いて〈およびぬき(於与比沼岐)〉〈ゆびぬき〉などとよませていた。このうち指の語は早く中国の《説文》に見え,〈於与比沼岐〉の語は《和名抄》に記され,指を〈於与比〉と称していたことが知られる。
現在,〈ゆびぬき〉の語は広く全国的に行われてはいるが,東北地方の青森,秋田,岩手の諸県ではこれを〈てっか〉と呼び,仙台地方では〈しごとゆびわ〉といっている。指貫は以前は真綿(まわた)や布を糸で刺したり,革や厚紙などを用いて各自で作ったが,使用しているうちに針の頭が突きぬけて指を傷つけることが多かったので,大正時代から金属製やセルロイド製の指貫が市販されるようになり,その表面に多数の細かいくぼみがつけられて針を受け止めやすくし,かつ長く使用しても針が突き刺さることがなくなったが,真綿製や革製品に比べると針をいためることが多いともいわれる。現在市販されているものはこれらの欠点を改めて,革製にし,表面に多数の細かいくぼみをつけるとともに,裏面にセルロイドの裏打ちをしてある。中国でも近年までは厚手の布や革の小片で各自が作り,運針には日本と同様にこれを中指にはめて使っていたが,朝鮮では,指貫(コルミー)は古くから厚手の布を重ねて袋状に作り,これを人差指の先にかぶせて運針していた。コルミーには赤,黄,緑,紫などの色糸でししゅうした精巧なものが多かった。またサハリンのオロッコ族の指貫(コナプト)は楕円形の針受けのある黄銅製のもので,朝鮮と同様にこれを人差指の先にはめて運針していた。英語でいう〈シンブルthimble〉はその語源のサム・ベルthumb-bellが示すように鐘の形をしたもので,古くは親指の先にかぶせて使ったものといわれるが,今では中指の先にこれをかぶせて運針している。これらの事例とともに,《和名抄》が中国の古文献を引用して,指貫を指沓としていることからみて,あるいは古くは日本や中国でも,指貫は指先にすっぽりかぶせる指のくつのような形のものが用いられ,これをコルミーのように人差指の先にかぶせて運針する仕方が行われていたものともみられる。
なお,日本には近年まで指貫を用いず,その代りに厚手の布地を折り重ねて輪形を作り,これを親指と他の4指の間にかけ,これで針を押して運針する〈つかみばり〉と呼ぶ仕方が行われており,まだ明らかにされてはいないが,日本の運針技術と用具のうえにも幾変遷があったことが推測される。
執筆者:宮本 馨太郎
公家の衣服の一種で,裾口に通した緒(お)でくくり,しぼるようにした袴(はかま)。奴袴(ぬばかま)とも称する。この形式は685年(天武14)に定められた括緒褌(くくりおのはかま)に始まるとされている。参朝に際して用いられる朝服の白袴(のちの表袴(うえのはかま))は前開式で腰を右脇で片羂(かたわな)に結ぶが,指貫は横開式で前後に腰(ひも)がつけられ,前腰を後ろで,後腰を前で諸羂(もろわな)に結ぶ。私服の直衣(のうし)や宿直(とのい)装束の衣冠に用いられた。また,朝服である束帯の略式として表袴に代えて指貫をはく場合があり,この装束を布袴(ほうこ)と呼んだ。この名は指貫の原型を示しており,もともと麻布製の袴であった。また麻布製であった狩衣(かりぎぬ)が上等の絹織物で作られ,上級の者の通常服となるとともに,麻布製の狩袴に代えて指貫をはくようになった。裾くくりの緒はふつう足首でしばり下括(げぐくり)と呼び,華やかに装うときは,くくった緒の結び余りを外に出して揚巻結びをして飾りとした。非常のときは膝の下でしばり,上括(しようくくり)と呼んだ。地質は位階・老若によって相違し,公卿の成年は紫や二藍(ふたあい)などの綾,固(かた)織物,年長は薄色や浅葱(あさぎ)の綾,固織物,若年は紫浮織物,殿上人は紫平絹,地下(じげ)の有位の者は浅葱平絹であった。綾,固織物,浮織物の文様は唐花の丸,八ツ藤の丸,鳥襷(とりだすき),雲立涌(くもたてわく)など,若年は小形で年とともに大きくなり,老年は無文とされた。
→袴
執筆者:高田 倭男
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衣類を縫うとき指にはめて、針の当たりや、滑りを防ぐ裁縫用具。皮製、金属製、プラスチック製があるが、金属製は糸切れしやすく、プラスチック製は滑りやすい。皮製のものには牛皮の表側に針が滑らないように、小さいへこみがつけてある。輪にしてあるので、右中指の第一と第二関節の間の太さにあわせて、留め糸を調節する。指の当たる裏側にプラスチックを張って、しっかりさせたものもある。切り皮というのは鹿(しか)皮、牛皮を切りっぱなしにしたもので、なめした表側のほうを指に当て、指の太さにあわせて、糸でかがり、輪にして用いる。紙製は和紙を重ねた厚紙を輪にして芯(しん)とし、上から真綿を巻き、千鳥かがりをしたもので、明治・大正ごろに家庭で手作りされた。朝鮮には美しい刺しゅうの指貫がある。長針を用い、つかみ針で運針するには皿付き指貫がよい。掌側の中指の付け根に皿を当てる。庶民の仕事着は麻、木綿であったので、明治以降、学校教育に短針が取り入れられるまで、つかみ針を用い、大きな針目で縫った。円、三角形に布を重ね、紐(ひも)をつけて中指の根元にはめる指貫は家庭でつくられた。
古くは紀元前1世紀に朝鮮半島北西部の楽浪(らくろう)郡で漢時代の婦人が使ったという銀製のへこみのついた指貫が発掘されている。洋裁のまつりぐけなどに使われるティンブルは金属製の帽子型で、針の当たるへこみがあり、右手の中指先にはめる。
[岡野和子]
公家(くげ)男子の衣服の一種。横開き式の袴(はかま)で前後に腰(紐(ひも))がつけられ、前腰を後ろで、後ろ腰を前で、もろわなに結ぶ。裾口(すそぐち)に通した緒でくくり、すぼめるようにしてある袴。この形式は684年(天武天皇13)に定められた括緒褌(くくりおのはかま)の流れをくむもの。私服の直衣(のうし)や宿直装束(とのいしょうぞく)の衣冠(いかん)に用いられた。また、朝服である束帯の略式として表袴のかわりに指貫をはく装束を布袴(ほうこ)とよんだが、この名称は指貫の原型を示していて、もとは麻布製の、下級の者が用いる袴であった。そのため奴袴(ぬばかま)ともいわれた。そのほか、絹織物製の狩衣(かりぎぬ)が上級の者の日常着として使われるようになると、麻布製の狩袴にかえて指貫をはくようになった。指貫の裾括(くく)りの緒は普通、足首でしばり下括(げくく)りとよび、華やかに装うときは、括った緒の結び余りを外に出してあげまき結びをして飾りとした。非常の際は膝(ひざ)の下で縛り、上括(しょうくく)りとよんだ。地質は位階、老若によって異なり、公卿(くぎょう)の成年は紫や二藍(ふたあい)などの綾(あや)か固(かた)織物、壮年は薄色(うすいろ)や浅葱(あさぎ)の綾か固織物、若年は紫浮織物、殿上人(てんじょうびと)は紫平絹などとされている。
[高田倭男]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…衣帯を着けるには,下着として通常,白小袖(しろこそで)を着用し,その上に袴(はかま)の類をはき,法衣を着け,袈裟を掛けるが,袴類を用いない衣帯もある。
[袴類]
裾をすぼめてくくる指貫(さしぬき)と,裾のまっすぐな切袴(きりばかま)と表袴(うえのはかま)がある。いずれも紋織の綾などで仕立て,宮廷装束のものとほぼ同じである。…
…能装束の大口は後腰を張った特殊な外容を示す。(3)指貫 奴袴とも書き,ともに〈さしぬき〉と呼んでいる。衣冠(いかん),直衣(のうし),狩衣(かりぎぬ)などに着装する袴で,八布(幅)の仕立てで筒が太く,すそに括(くく)りの緒(お)を通す。…
…歌方は衣冠単(いかんたん)(衣冠)で,履物は浅沓(あさぐつ)である。〈大和舞装束〉は,舞人は衣冠単で,一﨟(いちろう)・二﨟は五位の赤袍,三﨟・四﨟は六位の緑袍で,赤単衣,指貫(さしぬき),笏を持ち浅沓を履く。歌方は狩衣(かりぎぬ)である。…
…イギリスでは針もピンも16世紀までは家内製作であり,またボタンの工業などもエリザベス女王(在位1558‐1603)時代になってから興った。指貫(ゆびぬき)は1675年にジョン・ソフティングによってオランダからイギリスに持ち込まれたといわれる。18世紀にミシン(ソーイング・マシン)の発明があり,その後改良が加えられて19世紀の初期には広く普及した。…
※「指貫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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