日本歴史地名大系 「大垈村」の解説 大垈村おおぬたむら 山梨県:南巨摩郡身延町大垈村[現在地名]身延町大垈、西八代郡下部(しもべ)町川向(かわむき)帯金(おびかね)村の東、深い谷を刻む大垈川(御持川上流部)に臨む山間の村。「甲斐国志」に枝郷川向がみえる。村名は大沼田とも記されたように湿地を意味したという。永禄四年(一五六一)九月二一日の穴山信君感状(鈴木進家文書)によると、鈴木四郎忠光は信州川中島合戦の勲功の賞として「甲州東河内領大垈村ニ而山内壱貫文」などを宛行われているが、同感状には検討の余地がある。 大垈村おおぬたむら 山梨県:北巨摩郡双葉町大垈村[現在地名]双葉町大垈茅(かや)ヶ岳南麓の竜地(りゆうじ)台地上に位置する。村内の字伊豆宮(いずみや)から近世初頭に現在地に移り、地名のヌタは湿地で、大沼田と記された文書もあるという(双葉町誌)。永禄六年(一五六三)と思われる亥七月六日の武田家印判状写(竜王村誌)に「大垈村」とみえ、当村など九村は当年の釜無川の洪水に対し、郷中人足をもって川除普請を行うよう申付けられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by