人形浄瑠璃。近松門左衛門の最晩年期を代表する作品の一つ。1721年(享保6)8月大坂竹本座初演。時代物。5段。戦国時代末期(16世紀半ば),甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信とによる戦いの史実を背景に,山本勘助などの伝説を加えた作。信玄の子勝頼と長尾輝虎(謙信)の娘衛門姫との恋は,信州の領主村上義清の横恋慕のため親たちに知られ,両家不和の原因となった。これを収めようと努めるのが勘介(勘助)である。輝虎は,川中島の合戦で信玄を襲うが,その信玄は実は勘介だった。これにより両家は和解し,勝頼と衛門姫は結ばれる。1621年(元和7)以前成立の軍書《甲陽軍鑑》によったもの。この作には,人形舞台と趣向上のいくつかの新工夫がある。その意味では,四段目が注目される。秋の紅葉の天目山を張抜きの本山(ほんやま)にして,華麗な舞台にしたこと。山の大道具を山簾(やまみす)から本山に改めたのは,本作が初めて。勝頼と衛門姫が流れを隔ててかなわぬ恋を嘆く趣向は,《妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)》の吉野川をはさんでの久我之助(こがのすけ)と雛鳥(ひなどり)の清純な恋の一場を生むことになる。歌舞伎では,翌年1月大坂竹嶋座(中の芝居)で上演され,竹嶋幸左衛門が勘介役で評判をとった(《役者春空酒(とそのさけ)》)。名高いのは三段目口〈輝虎配膳〉。勘介をおびき寄せようとする輝虎の計略に立腹した老母が,配膳を足蹴にする。それを怒った輝虎は老母を斬ろうとするが,勘介の女房お勝の嘆願によって収まるという筋。老母は〈三婆〉の一つともいわれる大役で,お勝も吃りのために心を言葉に表せず琴を弾きながら詫びるという難役になっている。なお,本作の影響を受けたものの代表作に《本朝廿四孝》がある。
執筆者:佐藤 彰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。5段。近松門左衛門作。1721年(享保6)8月、大坂・竹本座初演。武田信玄・長尾輝虎(てるとら)(上杉謙信)の戦いを描いた『甲陽軍鑑』に取材した作で、信玄の子勝頼(かつより)と輝虎の娘衛門(えもん)姫の恋が原因で両家の不和を招くが、武田の軍師山本勘助の尽力で収まるという筋(すじ)。四段目の天目山(てんもくざん)の場で初めて張(はり)抜きの本山(ほんやま)を飾り、大道具の発展に貢献した作だが、内容的には三段目口(くち)の「輝虎配膳(はいぜん)」が有名で、歌舞伎(かぶき)でも多く上演される。山本勘助を味方につけようとする輝虎が勘助の母(歌舞伎では役名越路(こしじ))を館(やかた)へよび、自ら膳部を運んでもてなすが、気丈な老母は膳を蹴返(けかえ)して拒絶する。怒った輝虎は母を斬(き)ろうとするが、勘助の妻お勝の嘆願によって収まる。烏帽子(えぼし)装束の輝虎が膳を運ぶ奇抜さや、「三婆(さんばば)」の一つともいわれる越路の毅然(きぜん)とした演技、どもりのために琴を弾き歌いしながらわびるお勝の哀れさなどが眼目。
[松井俊諭]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…《川中島軍記》として講談に仕組まれ,江戸庶民に親しまれた。人形浄瑠璃としては,1721年(享保6)8月大坂竹本座上演の近松門左衛門作《信州川中島合戦》が初期の代表作。これに先立つ紀海音作の《甲陽軍鑑今様姿》は,1715年(正徳5)秋以前初演と推定される。…
※「信州川中島合戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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