日本歴史地名大系 「秩父市」の解説 秩父市ちちぶし 面積:一三三・六四平方キロ(境界未定)県の西部に位置し、東は秩父郡東秩父村・横瀬(よこぜ)町、比企郡都幾川(ときがわ)村・入間(いるま)郡名栗(なぐり)村、南は東京都西多摩(にしたま)郡奥多摩(おくたま)町、西は秩父郡荒川(あらかわ)村・小鹿野(おがの)町、北は同郡吉田(よしだ)町・皆野(みなの)町に接する。市域は秩父盆地の東部とその周辺の山地にわたる。南北に長く盆地地域と東部山地・南部山地に分けられる。盆地地域は中央を荒川が北流、広い河岸段丘が広がり、東側(右岸)に羊山(ひつじやま)丘陵(中位段丘)と横瀬川、西側(左岸)に尾田蒔(おだまき)丘陵(上位段丘)と赤平(あかびら)川が並行する。市の北域で両河川は荒川に合流し、丘陵も終わる。各流域の河岸段丘(下位段丘)上に集落が発達、荒川右岸の広い段丘面には国道一四〇号(秩父往還)が通り、中心市街を形成している。また国道二九九号が各丘陵・河川を横断する。東部山地は大霧(おおぎり)山(七六六・六メートル)、定峰(さだみね)峠、白石(しろいし)峠(八七四メートル)などが続く低い山々で、関東平野を望み奥武蔵ともよばれる。南部山地は武甲(ぶこう)山(一二九五・四メートル)、小持(こもち)山、大持(おおもち)山(一二九四・一メートル)、有間(ありま)山(一二一三・五メートル)や東京都境の日向沢(ひなたざわ)ノ峰、蕎麦粒(そばつぶ)山(一四七二・九メートル)、仙元(せんげん)峠、天目(てんもく)山(一五七六メートル)などが続く一〇〇〇メートル級の山嶺で、谷も深く急峻な山岳地帯である。市域の一部は県立武甲自然公園・同長瀞玉淀(ながとろたまよど)自然公園に指定されている。〔原始〕荒川右岸下位段丘面の柳田(やなぎだ)遺跡と井(い)ノ尻(しり)遺跡(中村町)から旧石器時代の細石器をはじめ縄文時代中・後期の土器が出土している。武甲山西麓橋立(はしだて)寺裏手の高さ六五メートルのロックシェルターには縄文時代草創期から歴史時代に至る複合遺跡の橋立岩陰遺跡があり、縄文式土器最古の型式である微隆起線文土器などが発見された。縄文時代中期の遺跡は長尾根(ながおね)丘陵中腹部の安立(やすたて)遺跡がある。後・晩期の遺跡は井ノ尻遺跡で、石錘が一〇〇点以上も出土、荒川に近く網漁などが行われていたと思われる。弥生時代遺跡の発掘は少なく、武甲山北麓の河岸段丘上に中期の大沼(おおぬま)遺跡、下流に下ッ原(したつばら)遺跡がある。両遺跡から出土した土器のなかに布目痕を有する土器がある。また、下ッ原遺跡から石製の紡錘車も出土しており、東日本における初期の織物資料として注目される。弥生時代後期の遺跡は同段丘上位の秩父神社境内北に宮(みや)ノ側(かわ)遺跡がある。古墳時代の遺跡は、下位河岸段丘面に多く、秩父地方最古の集落跡金室(かなむろ)遺跡がある。 秩父市ちちぶし 2005年4月1日:秩父市と秩父郡吉田町・荒川村・大滝村が合併⇒【吉田町】埼玉県:秩父郡⇒【荒川村】埼玉県:秩父郡⇒【大滝村】埼玉県:秩父郡⇒【秩父市】埼玉県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「秩父市」の意味・わかりやすい解説 秩父〔市〕ちちぶ 埼玉県西部,秩父盆地および秩父山地にある市。1950年市制。1954年原谷村,尾田蒔村,久那村の 3村,1957年高篠村,大田村の 2村,さらに 1958年影森町を編入。2005年吉田町,大滝村,荒川村と合体。中心市街地の秩父は秩父盆地を貫流する荒川の河岸段丘上にあり,もと中村郷,大宮郷と称し,秩父神社を中心に発展。江戸時代中期には絹織物の集散地として繁栄。絹市のなかでも特に 12月の大市は盛況を呈した。絹織物は中小工場が大部分で,夜具地,座布団地,和服地などがつくられる。南東部の武甲山山麓は石灰岩の産地で,1923年以来セメント工場が立地。その他製材,木工業も行なわれる。秩父多摩甲斐国立公園の観光拠点。秩父神社の 12月3日の例祭は秩父夜祭として名高く,6基の山車は国の重要有形民俗文化財に指定され,屋台行事は国の重要無形民俗文化財に指定されている。なお秩父市を中心として秩父三十四ヵ所の観音霊場があり,そのうち栃谷の第1番札所の妙音寺の観音堂,山田の第4番札所の金昌寺の石仏群は県の指定史跡。黒谷には和銅採掘遺跡がある。南東部の武甲山一帯の山岳地帯は武甲県立自然公園に,北部の一部は西秩父県立自然公園に属する。秩父鉄道が通り,西武鉄道の終点。国道140号線が通る。面積 577.83km2(境界未定)。人口 5万9674(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by