日本歴史地名大系 「下柳町」の解説 下柳町しもやなぎちよう 広島県:広島市中区下柳町[現在地名]中区橋本(はしもと)町・銀山(かなやま)町広島城郭の東南に位置する武家屋敷町で、柳町の筋に沿い、その中ほどで直交する山陽道沿いの町地橋本町以南の町。南は竹屋(たけや)村内の平塚(ひらつか)町、東は京橋(きようばし)川、西は町地の石見屋(いわみや)町・山口(やまぐち)町。途中西側に銀山町の筋が交わる。元和五年広島城下絵図では町名は記されないが、この筋にあたる所に「是ヨリ南ノ詰迄二百十五間」とある。 下柳町しもやなぎまち 京都府:福知山市福知山城下下柳町[現在地名]福知山市字下柳由良川堤防に沿う町筋で、南東は上柳町、北西は寺町(てらまち)に続く。京街道沿いの両側町。有馬豊氏時代(慶長―元和)の福智山城之絵図は、南の上柳町を含めて柳町と記す。近世には由良川の川底が低く、堤防も幅が広かったため、土手の上にも川に面して家並が形成されていた。町の南端は広小路(ひろこうじ)(古くは下魚屋町通)で、その東詰に船着場の下船渡(しもふなど)口があり、上柳町とともに物資の集散、経済活動の最も盛んな所であった。そのため問屋・旅館・料理屋が多く、船頭・水主・商人が集住した。 下柳町しもやなぎちよう 京都市:東山区建仁寺門前下柳町東山区新道通団栗下ル二丁目新道通に位置。南は松原裏通。寛保初京大絵図に「下同(柳町)」と記されるのが早い。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「其(上柳町)南、西がは、下柳町 此町西側に宮川筋へ出る道有。東側に蛭子の社内を通り、建仁寺町へ出る。扨南へ行当東へ行ば建仁寺町へ出る也」と説明する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by