大屋晋三(読み)オオヤ シンゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大屋晋三」の解説

大屋 晋三
オオヤ シンゾウ


肩書
元・参院議員(自民党),帝人社長

生年月日
明治27年7月5日

出生地
群馬県邑楽郡明和村

学歴
東京高等商業学校〔大正7年〕卒業

経歴
大正7年鈴木商店入社、同14年、旧帝国人造絹絲(現・帝人)に派遣され、昭和20年11月には社長に就任した。以来、参院議員だった22年から9年間をのぞき一貫してトップの座に君臨し、帝人を世界的な合繊メーカーに育て上げるとともに、繊維業界のリーダーとして活躍した。参院議員在職中は商工大蔵運輸の各大臣を歴任。一方、「死ぬまでやめない」が口ぐせだった社長在任は26年余におよんだ。

没年月日
昭和55年3月9日

家族
妻=大屋 政子(文化活動家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「大屋晋三」の解説

大屋 晋三
オオヤ シンゾウ

昭和期の実業家,政治家 帝人社長;元・参院議員(自民党)。



生年
明治27(1894)年7月5日

没年
昭和55(1980)年3月9日

出生地
群馬県邑楽郡明和村

学歴〔年〕
東京高等商業学校〔大正7年〕卒業

経歴
大正7年鈴木商店に入社、同14年、旧帝国人造絹絲(現・帝人)に派遣され、昭和20年11月には社長に就任した。以来、参院議員だった22年から9年間をのぞき一貫してトップの座に君臨し、帝人を世界的な合繊メーカーに育て上げるとともに、繊維業界のリーダーとして活躍した。参院議員在職中は商工、大蔵、運輸の各大臣を歴任。一方、「死ぬまでやめない」が口ぐせだった社長在任は26年余におよんだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大屋晋三」の解説

大屋晋三 おおや-しんぞう

1894-1980 昭和時代の経営者,政治家。
明治27年7月5日生まれ。妻は大屋政子。鈴木商店に入社,大正14年帝国人造絹糸(のち帝人)にうつり,昭和20年社長。22年参議院議員(当選2回,自民党)。第2・第3次吉田内閣の商工相,運輸相。31年帝人社長にもどり,テトロンの製造技術を導入した。昭和55年3月9日死去。85歳。群馬県出身。東京高商(現一橋大)卒。
格言など】人生マラソンのような長距離競走である(「男からみた男の魅力」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大屋晋三」の解説

大屋 晋三 (おおや しんぞう)

生年月日:1894年7月5日
昭和時代の実業家;政治家。帝人社長;参議院議員
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大屋晋三の言及

【帝人[株]】より

…第2次大戦前の人絹(レーヨン)の黄金時代に半独占的な地位を占めた同社も,戦後は苦難の再出発を余儀なくされた。合繊への転換に乗り遅れた同社は,56年大屋晋三(1894‐1980)を社長に再任し,技術導入を中心に合繊への体質転換を図った。その後ポリエステル系繊維〈テトロン〉の企業化に成功,レーヨン部門の比重が下がったため,62年現社名にした。…

※「大屋晋三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android