帝人(読み)ていじん

共同通信ニュース用語解説 「帝人」の解説

帝人

1918年創立の総合化学メーカー。「帝国人造絹絲けんし」として発足し、62年に現社名に変更した。戦前から化学繊維レーヨンを生産し、戦後はポリエステルナイロン展開。現在は樹脂や繊維、自動車向けの複合成形材料、医薬品など幅広い事業を手がけている。東京と大阪本社を構え、2024年3月期の連結売上高は1兆327億円だった。

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「帝人」の意味・わかりやすい解説

帝人(株)
ていじん

合成繊維、化成品、医薬事業等を行う帝人グループを統轄する持株会社。前身の帝人は日本最初の人造繊維メーカーとして出発。1915年(大正4)、金子直吉(なおきち)が山形県米沢(よねざわ)市に鈴木商店傘下の東(あずま)レザーの人絹工場を開設したのに始まる。1918年に帝国人造絹糸として分離、設立岩国三原に新工場を建設。1927年(昭和2)の金融恐慌により親会社の鈴木商店が閉鎖したため、独立会社となった。1942年に第二帝人を合併、44年に帝人航空工業を分離。第二次世界大戦後は、合成繊維への転換が他社より遅れ経営上の危機に陥ったが、政界から社長に再就任した大屋晋三(しんぞう)(1894―1980)の指揮のもと、ポリエステル系繊維テトロンの企業化(1958)により危機を突破した。その後ナイロンも企業化し、合成繊維会社へ体質転換。1962年(昭和37)社名を帝人と改称。創業以来のレーヨン部門からは1971年に撤収。1970年代には化成品事業、医薬事業にも取り組む。海外展開を積極化。2003年(平成15)持株会社制へ移行。それに伴い衣料繊維事業は帝人ファイバーに、産業繊維事業は帝人テクノプロダクツとなるなど、各事業は分社化された。資本金708億円(2008)、売上高1兆0366億円(2008。連結ベース)。松山、三原などに工場をもつ。

[橘川武郎]

『福島克之著『帝人の歩み 1~11』(1968~77・帝人株式会社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「帝人」の意味・わかりやすい解説

帝人[株] (ていじん)

大手化学繊維メーカー。日本最初の人造繊維製造会社で,現在もポリエステル繊維のトップメーカー。繊維以外のフィルム,医薬品等の事業を新たな柱として伸ばしつつある。本社大阪市中央区。

 鈴木商店の番頭の金子直吉(1866-1944)は人絹工業の創設を計画し,1915年米沢市に鈴木商店翼下の東レザー(株)の分工場,米沢人造絹糸製造所を発足させた。これが帝人の始まりである。翌16年には日本最初の人絹を生産し,18年には帝国人造絹糸(株)として分離,設立された。27年親会社の鈴木商店が金融恐慌で倒産し,その負債の一部をかぶったが,この危機を乗り越え,実質的に独立会社となった。第2次大戦前の人絹(レーヨン)の黄金時代に半独占的な地位を占めた同社も,戦後は苦難の再出発を余儀なくされた。合繊への転換に乗り遅れた同社は,56年大屋晋三(1894-1980)を社長に再任し,技術導入を中心に合繊への体質転換を図った。その後ポリエステル系繊維〈テトロン〉の企業化に成功,レーヨン部門の比重が下がったため,62年現社名にした。昭和40年代から石油,化粧品,教育等の未来事業を展開するが,医薬品を除き大半は失敗。現在はポリエステルを中心にフィルム,医薬品を伸ばして,再び企業体質を強化しつつある。資本金708億円(2005年9月),売上高9084億円(2005年3月期)。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「帝人」の意味・わかりやすい解説

帝人[株]【ていじん】

1918年東工業米沢人造絹糸製造所(日本最初のレーヨン工場)が帝国人造絹糸として独立。第2次大戦後アセテート,次いでポリエステル繊維,ナイロンと合成繊維に進出。1962年現社名に改称。ポリエステル繊維(商標名はテトロン)では国内トップメーカー。医薬品その他非繊維部門,さらに海外にも積極的に進出している。本社大阪,工場は松山,三原ほか。2011年資本金708億円,2011年3月期売上高8156億円。売上構成(%)は,高機能繊維13,ポリエステル繊維13,化成品27,医薬医療17,流通・リテイル27,その他5。海外売上比率37%。
→関連項目鈴木商店帝人事件

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「帝人」の意味・わかりやすい解説

帝人
ていじん

合成繊維メーカー。1918年帝国人造絹絲設立。日本における化繊産業の草分けとしてレーヨンを生産(1971撤収)。1955年アセテート長繊維(→アセテート繊維)の生産開始(2002撤収)。1957年東レとともにイギリスのインペリアル・ケミカル・インダストリーズ ICIからポリエステル繊維およびポリエステルフィルムの技術を導入,東レと共同で商標名を「テトロン」とする。1960年銀座にテイジンメンズショップを開店。1962年現社名に変更。1978年医薬品メーカー,帝人医薬を設立(1983吸収。2003帝人ファーマ設立)。1999年東邦レーヨンに資本参加。2003年持株会社に移行。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本の企業がわかる事典2014-2015 「帝人」の解説

帝人

正式社名「帝人株式会社」。英文社名「TEIJIN LIMITED」。繊維製品製造業。大正7年(1918)「帝国人造絹絲株式会社」設立。昭和37年(1962)現在の社名に変更。本社は大阪市中央区南本町。合成繊維持株会社。前身は日本初の人造絹糸を生産した東工業株式会社米沢人造絹糸製造所。合成繊維事業・化成品事業・医薬医療事業が3本柱。東京証券取引所第1部上場。証券コード3401。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

世界大百科事典(旧版)内の帝人の言及

【化学繊維】より

…一方,東京帝大工科大学応用化学科を卒業後鈴木商店系の東レザーの技師長としてレザーの研究・改良に従事していた久村清太は,やがてビスコースの将来に注目し,学友で米沢高等工業学校講師の秦逸三と協力してビスコース応用品として有望なレーヨン糸の研究を始め,1915年には鈴木商店の番頭金子直吉の援助を得て,東レザー分工場米沢人造絹糸製造所を設立した。この製造所は折からの第1次大戦による輸入の途絶に助けられて生産を伸ばし,18年には資本金100万円(25万円払込み)の帝国人造絹糸(現,帝人)に発展した。この間,西田嘉兵衛はレーヨン糸の用途を組紐から織物用へと拡大することを企図しつつ,米沢で製造されたレーヨン糸の販売を一手に引き受け,その糸質改良のよき助言者となったのである。…

【繊維工業】より

…日本におけるレーヨン糸製造は1916年,米沢の鈴木商店系の東レザー(翌年,東工業と改称)の分工場,米沢人造絹糸製造所において始まった。18年同製造所は帝国人造絹糸(現,帝人)として独立した。この時期にレーヨン糸分野への新規参入が続いたが,新規参入企業の多くは第1次大戦後の不況によって消滅した。…

※「帝人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android