20世紀日本人名事典 「大山幸太郎」の解説
大山 幸太郎
オオヤマ コウタロウ
- 生年
- 明治6年6月8日(1873年)
- 没年
- 昭和42(1967)年7月28日
- 出生地
- 秋田県弁天村(現・湯沢市)
- 旧姓(旧名)
- 須田
- 学歴〔年〕
- 秋田師範学校卒
- 経歴
- 横堀小学校の教員となり、全国で初の父兄会を開く。のち上京し、巣鴨の東福寺で4年に渡って独学。この間、アメリカ帰りのキリスト教徒新井奥邃の知遇を得、その影響で平和主義を唱導するようになった。大正3年文部省に入り、4年より9年間ドイツに留学。帰国後は母校秋田師範学校で教鞭を執りながら著述に没頭し、文化科学の研究と普及に一生をかけた。「真人」の語を造ったことでも知られる。没後、教え子たちにより、真人学会が結成された。著書に「日本教育行政論」「絶対運命の精神」「文化科学原理」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報