20世紀日本人名事典 「大日向作太郎」の解説 大日向 作太郎オオヒナタ サクタロウ 明治期の政治家 秋田県議。 生年安政7年1月1日(1860年) 没年大正3(1914)年10月23日 出生地出羽郡雄勝郡(秋田県雄勝郡羽後町) 経歴23歳で父と死別し、家督を相続。商用で全国各地を巡るうち、郷里秋田県の産業基盤の脆弱さを悟り、港湾の整備を思いついた。明治22年秋田県会議員に当選。以来、一貫して秋田市の船川築港を主張し続け、30年船川築港期成同盟を結成して委員長となり、同港の整備と発展に精力を傾注した。しかし、日露戦争の直前であったために築港は延期された。35年秋田県会議長。38年には編集監督として「秋田新報」の経営に参画。40年任期満了に伴って政界を引退し、鉱山事業に従事するが、失敗に終わった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大日向作太郎」の解説 大日向作太郎 おおひなた-さくたろう 1860-1914 明治時代の政治家。安政7年1月1日生まれ。明治22年秋田県会議員となり,35年県会議長。船川築港期成同盟会を結成して船川港発展の基礎をきずいた。大正3年10月23日死去。55歳。出羽(でわ)雄勝郡(秋田県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by