日本大百科全書(ニッポニカ) 「大日本地主協会」の意味・わかりやすい解説
大日本地主協会
だいにほんじぬしきょうかい
地主の全国的な連合組織。1925年(大正14)10月4日、地主組合の全国的結集を目ざして大阪で結成され、同地に本部をもつ日本農民組合と対抗した。前身は大日本興農会。実質は近畿地方を中心とする中小地主の団体としての性格が強い。初代会長は北田騰造(とうぞう)で、二府八県8699人を組織した。しかし西日本の小作争議鎮静化に伴い弱体化し、1933年(昭和8)1月大日本農政協会に改組、地主団体から農業者の団体へと構成員の規定も変えたが、財政難、幹部間の確執などのため同年11月に解散した。機関誌『農政時報』(月刊)を発行。
最盛期の1920年代後半の活動内容は、顧問弁護士による法律関係の相談を中心とした争議指導と、関係諸官庁への陳情を主とする農政活動であった。争議指導では、小作料請求や土地返還などの訴訟および地主による共同の小作料取立会社(土地会社)設立などの最強硬戦術を奨励した。また農政活動では、全国の地主および地主組合を糾合し、当局に対して小作争議取締り励行、争議判決促進、小作法案の修正、米価政策の確立、農村負債整理などを陳情した。
[栗原るみ]