地主組合(読み)じぬしくみあい

改訂新版 世界大百科事典 「地主組合」の意味・わかりやすい解説

地主組合 (じぬしくみあい)

農業の保護・発達,小作条件の維持・改善を目的に,農地所有者を構成員として組織された種々の団体の総称であるが,歴史的には,1920年代から30年代前半を中心に,小作争議への対抗を主たる目的として結成された寄生地主の団体をいう。収穫された米の半ばに達する小作料を引き下げて,生活の安定・向上を図ろうとした小作人の要求は,1920年前後から集団的な小作争議となって急速に増加し,小作料の未納や示威行動などの激しい戦術をとった。これに対して個々の地主は,妥協的に要求の一部を認めざるをえないことが多かった。このため各地域の地主たちは自然発生的に地主団体を組織し,個々の地主が小作人と交渉したり要求を受け入れたりすることを避けて,小作組合への統一した対応をとるに至り,たとえば訴訟費用を共同で負担して土地取上げなどの強硬な裁判を提起したり,小作調停に対する統一的対応を図ったりしている。地主団体は,小作争議の激発地に多く結成され(1927年には組合数734,組合員5万7052),争議が下火になると解散することが通例であった。地主組合には,大地主だけによるものや多数の中小地主を組合員としているもの,一村範囲のものから数県にまたがるものまでさまざまのものがあった。大阪に本部を置いて近畿地方を中心に広く組織をもった大日本地主協会(1925-33)は,最大規模の地主組合で(1931年には2府11県に,組合員6250人を有する),小作法案への反対・修正運動,小作争議に対する取締り強化の要望など,帝国農会などによる農業者的農政運動とは区別される地主的農政運動を展開している。昭和恐慌以降,組織的な小作争議が弾圧を受けて鎮静化するにともなって地主組合の活動も消極化し,戦時期には消滅した。
小作争議
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「地主組合」の意味・わかりやすい解説

地主組合
じぬしくみあい

地主たちによる組合組織。その設立は日露戦後と第一次世界大戦後の2段階に分けて考えることができる。農商務省編『本邦ニ於(お)ケル農業団体ニ関スル調査』(1924)によれば、1061組合中、前者が70%、後者が25%であった。

 日露戦後の地主組合は、小作人への農事奨励あるいは穀物検査事業への対応という名目で結成された。多くは村を範囲とした地主階級の組合で、農法や新品種に関する情報を交換したり、品評会・共進会などを開催し、小作層に反収や品質を競わせるなどの活動を通じて、地主経営の改善と小作層への負担の転嫁を企図するものであった。

 第一次大戦後に設立された地主組合は、小作争議に対抗するための組織化という性格をもち、以前に設立された組合もこの時期には争議対応の組織に変じた。地主組合は、小作側の要求項目への対応策や減免率の協定、小作料請求や土地返還訴訟の共同提起、顧問弁護士を依頼しての争議指導などの活動を活発に展開した。農政当局は高揚する小作争議に対し、従来の地主中心の農政を、農民経営の経済的組織化による対応を基調とした路線へと推転させたが、地主組合は小作争議対策の強化を求めて盛んな活動を展開した。この過程で組織の範囲は郡・県・全国へと拡大し、大日本地主協会、農政団体連合会などが結成され、小作法に対する修正意見を発表したり、小作調停法の改正、農産物価格の維持などを要求した。

 地主組合の農政活動は、明治民法の地主的土地所有の絶対性に対し、一定の制約を定めた農地調整法(1938年4月2日公布)が施行されたあとは、ほとんど消滅した。

[栗原るみ]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地主組合」の意味・わかりやすい解説

地主組合
じぬしくみあい

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