大曾村(読み)おおぞむら

日本歴史地名大系 「大曾村」の解説

大曾村
おおぞむら

[現在地名]北川辺町さかえ

利根川左岸に位置し、東は前谷まえや村と飯積いいづみ村の飛地高野たかの新田、南は利根川を隔てて弥兵衛やへえ(現大利根町)。「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)一一月七日条に、当日入洛した将軍源頼朝の随兵としてみえる大曾四郎を当地出身の武士とする説(風土記稿)がある。田園簿では水損場と記され、田高七五石余・畑高六二石余であるが、明和九年(一七七二)七八石余が高入れされており、新田が開発されていた(「古河御領分村高米大豆御上納高」田口家文書)

大曾村
おおぞむら

[現在地名]宇都宮市大曾一―五丁目・上大曾町かみおおぞまち東塙田ひがしはなわだ二丁目・塙田はなわだ四―五丁目・東戸祭ひがしとまつり一丁目・にしき一―三丁目

北は山本やまもと村、南は塙田村と接する平坦地で、西部八幡山はちまんやま丘陵があり、その東側山裾を街道が南北に走る。近世初期から宇都宮城付領分で、慶長七年(一六〇二)には宇都宮藩奥平綱正の知行(「家中系図」奥平家文書)。慶安郷帳に田方四二二石余・畑方二二石余とある。元禄九年(一六九六)宇都宮宿大助郷一七ヵ村の一つとなる(「宇都宮宿助郷帳」上野虎四郎文書)

元禄一〇年の差出帳(五月女久五文書)では高四九五石・新田九石二斗、諸役勤方は田方掛物上納有高一〇〇石につき丁銭一貫三五四文ずつ納、茶銭一八二文納、御城米扶持は米納、御家中切米は籾納、畑方年貢は金一両に取米三石替、ただし一貫文につき目銭四〇文ずつ納、百姓家八軒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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