朝日日本歴史人物事典 「大月光興」の解説
大月光興
生年:明和3(1766)
江戸後期の装剣金工家。山城屋を屋号とした金工家大月光芳の子。京都生まれ。幼名は喜八郎。大竜斎,竜駒堂,紫竜堂,是空入道などの別号があり,銘は雍州光興,月光興,三津興などと切る。30歳を過ぎて一時江戸に下り,修業を重ねた。その一方で岸駒に絵を習い,長沢蘆雪の影響を受けて絵にも巧みなものがあったという。一宮長常,鉄元堂正楽と共に京都金工の三名工のひとりに挙げられている。代表作「大原女図鐔」(個人蔵)にみるように京都の風物を描写した題材など幅広い作域を示し,片切彫りにすぐれたものがある。50歳前後に五郎左衛門を襲名したとみられる。嫡男の光弘のほか,川原林秀興をはじめ篠山篤興,松尾月山など多くの門人の育成にも努め,大月派の隆盛に大きく貢献した。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報