大林城跡(読み)おおばやしじようあと

日本歴史地名大系 「大林城跡」の解説

大林城跡
おおばやしじようあと

[現在地名]金ヶ崎町永沢・永栄

江戸時代の永沢ながさわ村から百岡ももおか村にかけての台地上(標高約一〇〇メートル)にある中世の城跡。南に胆沢川、北に永沢川が流れ、南は胆沢扇状地、北は六原ろくはら扇状地を一望におさめることのできる要地である。百岡城・柏山かしやま館・舞鶴まいづる館とも称され、葛西氏の重臣で中世全期を通じ実質的に胆沢地方を支配したといわれる柏山氏の本城。柏山氏の出自は判然としないが、平兼盛の一子亀千代が源義家から「八幡八丁、塩竈八丁、上野八丁都合二十四丁」を与えられ、寺蜘村に在城して水沢殿と号した。これが柏山の根本であるという(「柏山家先祖等系図」善阿弥文書)。別伝では平重盛の次男資盛の子資元が先祖で、平家没落後資元は乳母とともに奥州に落延びていたが、葛西清重の配慮で胆沢郡内に所領を得、西根にしねの羽黒山伏のもとで成育、のち大林に居城した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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