金ヶ崎町(読み)かねがさきまち

日本歴史地名大系 「金ヶ崎町」の解説

金ヶ崎町
かねがさきまち

[現在地名]金ヶ崎町西根 本町

西根にしね村の東端、北上川右岸の奥州街道に沿って形成された町場。金ヶ崎城(要害)城下町であるとともに同街道の宿場町でもあった。地名金ヶ崎が文献にみえる早い例は、永正四年(一五〇七)一一月二六日の葛西左衛門尉宛行状(奥州葛西文書)で、百岡ももおか郷など五郷と水沢・金ヶ崎のうちで一七〇貫文が馬籠長之助に与えられている(ただしこの宛行状は検討を要する)。町場が形成された時期は不明だが、慶長一〇年(一六〇五)一〇月八日の伊達政宗黒印状(伊達政宗卿伝記史料)に「水沢之町引候而金ケ崎江相立候」とあり、続けて「六さい諸商人以下」を相立てるべしと記しているので、この前後から本格的な町づくりが行われたものと考えられる。

金ヶ崎町
かねがさきちよう

面積:一七九・六一平方キロ

胆沢郡の北部にあり、北は北上市と夏油げとう川を隔てて和賀郡和賀町、南は胆沢川を境に水沢市と胆沢町、東は北上川を挟んで江刺市に接する。西部は奥羽山脈こまヶ岳(一一二九・八メートル)経塚きようづか(一三七二・六メートル)の東側に広がる山地東部六原ろくはら扇状地で、宿内しゆくない川・黒沢くろさわ川・永沢ながさわ川が東流して、胆沢川・北上川に注ぐ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報