大槻健(読み)オオツキ タケシ

20世紀日本人名事典 「大槻健」の解説

大槻 健
オオツキ タケシ

昭和・平成期の教育学者 早稲田大学名誉教授;元・教科書検定訴訟を支援する全国連絡会代表。



生年
大正9(1920)年8月28日

没年
平成13(2001)年1月30日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部教育学科〔昭和19年〕卒

経歴
神奈川師範学校、東京大学教育学部附属中学校に勤めたのち、昭和28年から38年間早稲田大学文学部で教鞭を執る。平成3年退職し、名誉教授。この間、小・中学校の社会科教科書の編集執筆に携わった。のち日本教育学会常任理事、日本民間教育団体連合会代表世話人などを歴任。教科書検定訴訟を起こした家永三郎を支援する“教科書検定訴訟を支援する全国連絡会”代表委員を結成から平成10年の解散まで32年間務めた。著書に「学校と教師」「学校と民衆歴史」「戦後教育史を生きる―自分史にかえて」「戦後民間教育運動史」「子どもの見える教育」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大槻健」の解説

大槻健 おおつき-たけし

1920-2001 昭和後期-平成時代の教育学者。
大正9年8月28日生まれ。神奈川師範,東大付属中学でおしえ昭和28年早大教授。この間,小・中学校の社会科教科書の編集,執筆にかかわり,また教育科学研究会や民間教育団体連絡協議会などの民間教育運動に参加。平成13年1月30日死去。80歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「学校と教師」「学校と民衆の歴史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大槻健」の解説

大槻 健 (おおつき たけし)

生年月日:1920年8月28日
昭和時代;平成時代の教育学者。早稲田大学教授;日本教育学会常任理事
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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