民間教育運動(読み)みんかんきょういくうんどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「民間教育運動」の意味・わかりやすい解説

民間教育運動
みんかんきょういくうんどう

国家の教育政策や教育行政から離れ、あるいは対抗して社会的に組織される教育についての主張や行動の全体を教育運動と総称するが、これらのなかで、教育政策や教育行政にとくに対抗的・競合的性格を示すものを慣用的に民間教育運動とよんでいる。1950年代中葉から日教組日本教職員組合)を中心に展開された「国民教育運動」と比べると、日教組の組織を越えたより広範な自主的活動がみられた。

[尾崎ムゲン]

状況

日本では第二次世界大戦前から戦中を通して、教育は国家の強い統制の下に置かれ、父母や教師が行政の政策的意図に対立することは、厳しい弾圧を覚悟することなしにはほとんど不可能であった。ところが戦後教育改革によって、国家の教育内容、教育方法への直接的介入、統制は法制的に排除され、また一時的に行政指導の空白期ともいえる状況が生まれた。父母、教師の間に自主的な教育再建への関心が高まったのは当然で、GHQ(連合国最高司令部)の指導や、戦前からの新教育運動の伝統によって、経験主義的カリキュラム改造運動が全盛となった。1948年(昭和23)のコア・カリキュラム連盟結成はこの動向を象徴する。ところが、50年前後からアメリカの対日政策が転換し、また国内の資本主義的秩序の再建、国家機構の整備に伴って、国家の手になる教育管理機構の再編、統制の強化が進んだ。「学力低下」を理由とする大衆的な戦後新教育批判も展開された。このようななかで、戦後新教育を批判的に総括しつつ、他方で教育の国家統制強化を批判し、教育の自主性、自立性を強調し、かつ科学的・系統的な教育方法・教育内容の確立を主張する民間の教育研究団体が全国的な規模で多数組織されるようになった。1949年の歴史教育者協議会(歴教協)、51年の数学教育協議会(数教協)の結成はその典型的な例である。このほか、第二次世界大戦前の運動の伝統を引く日本綴り方(つづりかた)の会(1950)、教育科学研究会(1952)、創造美育協会(1952)、あるいは日本教育版画協会(1951)、日本文学協会(国語教育部会。1951)、産業教育研究連盟(1953)、科学教育研究協議会(1954)などが次々と結成された。これらの団体は民間教育団体と総称されていたが、その活動が全体として民間教育運動の「平和と民主主義をめざす教育の発展」の具体的内容をつくりだしていた。59年には日本民間教育研究団体連絡会(民教連)も結成された。

 一方、日教組は1951年に教育研究全国集会教研集会)を開催して以後、教師を中心とした教育・研究サークル活動の成果をここに吸収し、またそれを全国に波及させるという体制をつくりだした。1950年代中ごろから、教育内容や教育方法の自主編成、自主管理運動に重点が置かれるようになり、この活動はさらに重視されるようになった。民間教育団体の多くはこの日教組の教育研究活動と緊密な連帯関係にあり、研究成果や優れた実践を反映させる場を提供された。

[尾崎ムゲン]

理論化の試み

1960~70年代にかけて、民間教育運動のこのような立場を理論的に整理し、「民間教育」という概念によって運動の内容を確実なものにしていこうという試みがあった。また、そのために第二次世界大戦以前の、困難な状況のなかでの教育運動の掘り起こし作業も精力的に進められた。

 注目されているものを時代順にあげれば、まず、自由民権運動のなかで組織された教育活動や教育機関がある。各地の民権結社はほとんど例外なく独自の教育活動を行っていた。高知立志社の立志学舎、福島石陽社の石陽館、福井自郷社の自郷学舎などは著名な教育機関である。ついで、第一次世界大戦後の労働者、農民の教育運動があった。生活難とデモクラシー運動高揚のなかで労農階級の解放運動が発展するが、このなかで日本労働総同盟の日本労働学校や大阪労働学校、あるいは日本農民組合の農民学校、夏期大学に代表される自己教育運動が大きく高揚した。

 さらに教育の現場においても次のような運動がみられた。成城(せいじょう)小学校や児童の村小学校などの私立学校、師範附属小学校を中心に進められた大正期新教育運動、鈴木三重吉(みえきち)の児童雑誌『赤い鳥』や山本鼎(かなえ)の日本児童自由画協会に代表される文学者・芸術家の児童文化教育運動、1930年代に活動した日本教育労働者組合、新興教育研究所が展開したプロレタリア教育運動、また同時期に全国の綴り方教師によってつくりだされた生活綴方運動、などである。小砂丘忠義(ささおかただよし)によって編集された『綴方生活』誌、成田忠久(なりたただひさ)を中心に結成された北方教育社や北日本国語教育連盟の運動(北方性教育運動)などはとくに注目された。これらの運動はもちろん多様で、それぞれ固有の論理に基づいていた。しかし、いずれも継承さるべき民間教育運動としての質をもっており、その発掘、整理は当時の運動の内容を豊かにするものと期待された。

 1960年代を中心に高揚をみせたさまざまな教育研究団体の活動は、これら歴史的な民間教育運動の掘り起こしという成果を残したが、その後の国家による教育改革の進展や国民の価値観の多様化のなかで運動としての実態を喪失し、大半はその歴史的役割を終えるに至った。

[尾崎ムゲン]

『民間教育史研究会編『民間教育史研究事典』(1975・評論社)』『『日本の民間教育 第一集』(1966・日本民間教育研究団体連絡会)』『井野川潔著『論争・教育運動史』(1981・草土文化)』『大槻健著『戦後民間教育史』(1982・あゆみ出版)』

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