大江挙周(読み)おおえのたかちか

朝日日本歴史人物事典 「大江挙周」の解説

大江挙周

没年:永承1.6(1046)
生年:生年不詳
平安中期の学者,漢詩人。中国風の名を多幸と称した。匡衡次男で,母は歌人として有名な赤染衛門。院政期の大儒匡房の祖父に当たる。文章得業生を経て対策に及第,寛弘3(1006)年式部少丞,蔵人となり,敦成親王家家司,東宮学士,和泉守,文章博士,丹後守などを経て正四位下式部権大輔に至る。当時の代表的学者のひとりとして諸親王の湯殿読書や読書始の講師を務め,年号の勘申に参与するなど活躍した。匡房編纂の『続本朝往生伝』に伝があり,臨終に際して,自分の学者としての生涯に満足していると語ったこと,命終のとき瑞相が出現したことなどが記されている。

(後藤昭雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大江挙周」の解説

大江挙周 おおえの-たかちか

?-1046 平安時代中期の漢学者,詩人。
大江匡衡(まさひら)と赤染衛門(あかぞめ-えもん)の子。紀伝道にまなび,文章得業生(もんじょうとくごうしょう)をへて,長保3年対策に及第。東宮学士,和泉守(いずみのかみ),文章博士などを歴任して式部権大輔(ごんのたいふ)にすすむ。治安3年後一条天皇の侍読にえらばれた。永承元年6月死去。通称は多幸。

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