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赤染衛門 あかぞめえもん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

赤染衛門
あかぞめえもん

平安時代中期の女流歌人。天徳,応和年間 (957~964) に生れ,長久2 (1041) 年以後没したと推定される。父赤染時用 (ときもち) が右衛門尉であったことからその呼び名が出た。実父は母の前夫平兼盛 (かねもり) ともいう。大江匡衡 (まさひら) と結婚,挙周 (たかちか) ,江侍従 (ごうのじじゅう) を生んだ。藤原道長の妻倫子 (りんし) に仕えた。歌才和泉式部と並称され,屏風歌詠進や歌合出詠も幾度かあり,歌の代作も多い。『拾遺集』以下の勅撰集に 70首あまり入集,家集赤染衛門集』があり,『栄花物語正編の作者にも擬せられている。藤原公任 (きんとう) の上表文の代作に苦渋する匡衡に助言したなど,その才知を伝える逸話も多い。

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百科事典マイペディアの解説

赤染衛門【あかぞめえもん】

平安中期の歌人。生没年不詳。赤染時用(ときもち)の女(平兼盛女とも)。大江匡衡(まさひら)と結婚。藤原道長の室倫子の女房,その娘の上東門院彰子にも仕えた。早くから歌人として名を知られ,息の長い作歌活動を展開。
→関連項目大江匡衡後拾遺和歌集紫式部日記

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

赤染衛門 あかぞめ-えもん

?-? 平安時代中期の歌人。
藤原道長の妻源倫子(りんし)に,のちその娘の上東門院につかえる。貞元(じょうげん)元年(976)ごろ大江匡衡(まさひら)と結婚し,挙周(たかちか),江侍従(ごうのじじゅう)らを生む。中古三十六歌仙のひとり。「栄花物語」の作者といわれる。家集に「赤染衛門集」,紀行文に「尾張紀行」など。
【格言など】やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

赤染衛門

生年:生没年不詳
平安時代の歌人。赤染時用の娘。母の前夫平兼盛が実の父ともいう。藤原道長室倫子や,その娘一条天皇中宮彰子に仕えた。大江匡衡と結婚し,2度にわたる夫の尾張赴任に同行する。才知だけでなく,夫の仕事,子どもの官位昇進のため奔走する良妻賢母の面を伝える逸話も多い。倫子七十賀の屏風歌や関白左大臣頼通歌合などに出詠し,活躍した。公的で類型的な歌合や屏風歌を得意とするが,「あすならば忘らるる身にもなりぬべしけふを過ぐさぬ命ともがな」といった内情の激しさを歌いあげたものもある。匡衡と死別後,出家した。和泉式部,清少納言などとも交際があり,『紫式部日記』には,歌才についての好意的な批評がみられる。また,『栄華物語』正編の作者ともいわれている。

(松田豊子)

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世界大百科事典 第2版の解説

あかぞめえもん【赤染衛門】

平安中期の女流歌人。生没年不詳。1041年(長久2)以後八十数歳で没した。赤染時用(ときもち)の女。母が初め平兼盛の妻だったので,兼盛女ともいわれる。藤原道長の妻倫子の女房となり,父が右衛門志(うえもんのさかん)や尉(じよう)であったので赤染衛門と呼ばれる。大江匡衡と結婚し,挙周(たかちか),江侍従をもうける。和泉式部,清少納言,紫式部,伊勢大輔らと交流し,《賀陽院水閣歌合》《弘徽殿女御十番歌合》などに出詠し,晴(はれ)の歌人として和泉式部よりも高く評価されることもあった。

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大辞林 第三版の解説

あかぞめえもん【赤染衛門】

平安中期の女流歌人。赤染時用ときもちの女むすめ。実父は母の前夫平兼盛か。大江匡衡まさひらの妻。藤原道長の妻倫子、その子上東門院に仕え、和泉式部と並び称された。古来「栄花物語」の作者に擬せられている。家集「赤染衛門集」。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

赤染衛門
あかぞめえもん

生没年不詳。平安中期の女流歌人で中古三十六歌仙の一人。右衛門尉赤染時用(ときもち)の娘。ただし平兼盛(かねもり)の妻が時用と再婚後に生まれたことから、兼盛の娘かともいわれる(『袋草紙』)。大江為基(おおえのためもと)との恋愛を経てその従弟(いとこ)大江匡衡(まさひら)と結婚、挙周(たかちか)、江侍従(ごうのじじゅう)らをもうけた。関白道長夫人倫子(りんし)ならびにその子上東門院彰子(しょうし)に仕え、清少納言、和泉(いずみ)式部、紫式部らとも交友があった。1001年(長保3)、1009年(寛弘6)の再度、夫とともに任国尾張(おわり)に下向、良妻賢母の誉れ高く、『紫式部日記』がその人柄を伝えている。歌人としては『後十五番歌合』『鷹司殿(たかつかさどの)倫子七十賀屏風歌(びょうぶうた)』の作者で、1035年(長元8)『関白左大臣頼通(よりみち)歌合』などに活躍、「やすらはで寝なましものを小夜(さよ)ふけてかたぶくまでの月を見しかな」など温厚典雅な歌風で知られる。1041年(長久2)曽孫(そうそん)匡房(まさふさ)の誕生を祝った歌があり、その後まもなく80余歳で没したらしい。家集に流布本、異本2種の『赤染衛門集』があり、前者はほぼ年次配列された雑纂自撰(ざっさんじせん)本、後者は類纂他撰本である。[犬養 廉]

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世界大百科事典内の赤染衛門の言及

【栄華物語(栄花物語)】より

…《源氏物語》にならい毎巻巻名がつけられており,巻三十〈鶴の林〉までを正編,巻三十一〈殿上の花見〉以下10巻を続編とし,続編は正編の作者とは別人によって書き継がれていったものと考えられる。伝承された作者の中では赤染衛門が道長の室倫子(りんし)に仕えて宮廷貴族の事情に通じていたこと,晩年出家して僧尼とも親交のあったことなど,経歴・年齢・才能からみて有力であるが,史料を多く用いて書く歴史物語の性質上,作者というよりむしろ正編の編者と見るべきである。続編の編者は未詳であるが,宮廷に仕えた女房階級の中に求められるであろう。…

【平氏】より

…両平氏とも中・下級貴族で,やはり歌人を多く生んでいる。平安中期の歌人で上東門院女房の赤染衛門(あかぞめえもん)は,一説に光孝平氏篤行の子で歌人の兼盛の娘といわれている。【飯田 悠紀子】。…

※「赤染衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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