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大江匡衡 おおえのまさひら

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大江匡衡
おおえのまさひら

[生]天暦6(952)
[没]長和1(1012).7.16.
平安時代中期の漢詩人。維時 (これとき) の孫で,幼時から祖父の教育を受け,その才能は天下第一と称された。赤染衛門の夫。学問の隆盛と家門の再興を夢み,自己の栄達をはかったが思うにまかせず,不遇のまま世を終えた。

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デジタル大辞泉の解説

おおえ‐の‐まさひら〔おほえ‐〕【大江匡衡】

[952~1012]平安中期の学者・歌人。文章博士(もんじょうはかせ)となり、一条天皇の侍読(じとう)として仕えた。妻は赤染衛門(あかぞめえもん)。歌集に「大江匡衡朝臣集」、詩集に「江吏部集(ごうりぶしゅう)」など。

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百科事典マイペディアの解説

大江匡衡【おおえのまさひら】

平安中期の学者,漢詩人,歌人。大江家の学統をひき,一条・三条両天皇の侍読を勤め,当代最高の学者とされた。赤染衛門は妻,大江匡房は曾孫。著書《江吏部集》があるほか,詩は《本朝麗草》《和漢朗詠集》に,散文は《本朝文粋》にみえる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大江匡衡 おおえの-まさひら

952-1012 平安時代中期の儒者,歌人。
天暦(てんりゃく)6年生まれ。大江重光の子。妻は赤染衛門(あかぞめえもん)。永祚(えいそ)元年文章博士,長徳3年東宮学士となる。一条天皇の侍読,侍従をつとめ式部大輔にすすむ。「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に12首がえらばれている。寛弘(かんこう)9年7月16日死去。61歳。漢詩集に「江吏部集」,家集に「匡衡集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大江匡衡

没年:長和1.7.16(1012.8.6)
生年:天暦6(952)
平安中期の学者,官人。正四位下,式部大輔。父は左京大夫重光。幼くして祖父維時の教えをうけ長じておよぶものがなかったというほどの才学の持ち主。24歳で文章生となり,次いで秀才(律令制下で式部省の登用試験に合格した者)に補せられ,検非違使ほかの京官を歴任し,38歳で文章博士となった。さらに東宮学士,一条天皇の侍読,侍従などを務めた。長保3(1001)年に尾張守となり妻の赤染衛門と共に任国に下り善政を行った。匡衡の整備した灌漑用水は大江用水の名で呼ばれ,いまもその余恵を施している。寛弘6(1009)年再度,尾張守に任じられたが,このたびは任なかばで希望して近国の丹波守にかわっている。このとき尾張学校院を建てたというが,実現はしなかったとみられる。ときの権力者藤原道長の信望厚く,文章の代作や願文の類を多作した。また詩宴,歌会によく出席し,序者,題者となるなど詩才,歌才は衆目の認めるところであった。その一端は詩文集の『江吏部集』や歌集の『匡衡朝臣集』などからうかがえる。また博識をもって知られる藤原実資とも交友があり,匡衡の死に際し実資は「名儒として比肩する人なし,文道の滅亡」とまでいっている。妻の衛門は「重ねてし衣の色のくれなゐは涙に湿める袖となりけり」と詠じた。かつて稲荷社の神官の娘へ通いつめた匡衡は,衛門から一首の歌を送られ,恥ずかしくなって衛門のもとへ戻ったという。ふたりの間に挙周,江侍従という子がいる。<参考文献>大曾根章介「大江匡衡」(『漢文学研究』10号)

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおえのまさひら【大江匡衡】

953‐1012(天暦7‐長和1)
平安中期の漢文学者。生年は952年説もある。大江維時(これとき)の孫。式部大輔に任じ,尾張守となったので,江吏部(ごうりほう),尾州刺史とよばれる。前半生読書30年に及んで官位は遅々として進まず不遇をなげいたが,46歳にして東宮学士,次いで式部大輔,昇殿して帝師となり遺憾なく江家の学統たる面目をあらわす。彼は当代の鴻儒をうたわれたが,身は貧しく風采はなはだあがらなかったが,ついに当代一流の歌人赤染衛門を妻とし,彼女の《栄華物語》述作にも史伝の学者として影響を与えたと思われる。

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大辞林 第三版の解説

おおえのまさひら【大江匡衡】

952~1012) 平安中期の学者・歌人。維時の孫。妻は赤染衛門。文章もんじよう博士・東宮学士。一条天皇の侍読。著「江吏部ごうりほう集」、家集「大江匡衡朝臣集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大江匡衡
おおえのまさひら
(952―1012)

平安中期の漢詩人、歌人。24歳で文章生(もんじょうのしょう)となり、38歳で従(じゅ)五位上、文章博士(はかせ)。997年(長徳3)東宮学士、翌年従四位下、式部大輔(だいぶ)に任ぜられた。当時すでに詩人、学者としての世評が高く、新年号勘進の役を仰せられたり、『孔子世家』についての江家(ごうけ)の説を奉ったりした。正四位下に至り、晩年には三たび尾張守(おわりのかみ)に叙せられた。詩集に『江吏部集(ごうりほうしゅう)』3巻、歌集に『大江匡衡朝臣(あそん)集』1巻がある。そのほか『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』や『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』以下の勅撰(ちょくせん)集に詩序や和歌が残っているが、自らの不遇をかこつものが多い。語彙(ごい)もかならずしも豊富とはいえないが、作品の構成はきわめて巧みである。[金原 理]

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世界大百科事典内の大江匡衡の言及

【本朝文粋】より

…王朝文学のきらびやかな花。《省試詩論》(巻七)は受験生の詩をめぐる試験官大江匡衡(まさひら)と紀斉名の公開討論。中国詩論の研究上にも重要な異色の文学論争は反論,再反論に及ぶ。…

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