20世紀日本人名事典 「大沢岳太郎」の解説
大沢 岳太郎
オオサワ ガクタロウ
明治・大正期の解剖学者 東京帝大教授。
- 生年
- 文久3年6月25日(1863年)
- 没年
- 大正9(1920)年12月5日
- 出身地
- 三河国蒲郡(愛知県)
- 旧姓(旧名)
- 大橋
- 学歴〔年〕
- 帝国大学医科大学〔明治20年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔明治31年〕,理学博士〔大正5年〕
- 経歴
- 三河吉田藩士の子に生まれる。豊橋藩侍医大沢見龍の家を継いだ生理学の祖・大沢謙二の甥に当たり、のち謙二の養子となり大沢姓を名乗った。明治23年第一高等学校教師となり、同年7月帝国大学医科大学助教授に任じた。27年自費でドイツに留学し、主としてフライブルク大学の比較解剖学者ロべルト・ヴィダースハイムに就いて研究。留学中、日本女性を母とするユリア・マイエルを知り、31年ユリアを伴い帰国した。33年東京帝大教授となり、解剖学を担当。42年ハンガリーで開催の万国医学会に日本代表として赴く。のち九州医科大学教授を兼任、また千葉医学専門学校でも講義を行った。比較解剖学者として世界的に名声を得て、オオサンショウウオなど両生類や爬虫類の比較組織学で業績を残した。著書に「解剖学講本」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報