大泉新田(読み)おいずみしんでん

日本歴史地名大系 「大泉新田」の解説

大泉新田
おいずみしんでん

[現在地名]員弁町大泉新田・石仏いしぼとけ

員弁川左岸大泉村の北に位置する。当村はもと大泉村の地を寛永一二年(一六三五)正木嘉兵衛によって開発されたといわれるが、慶安郷帳(明大刑博蔵)にはまだみえず、元禄郷帳に至ってようやく現れる。なお、正木家は、文政年間(一八一八―三〇)に拝借金の問題で断絶させられた(員弁雑志)。江戸時代を通じて桑名藩領。文政一〇年の桑名領郷村案内帳によれば、家数七八、人数三七七、牛三四、馬三。免は三ツ五分で、桑名藩領では低い部類である。村内の大溜は笠田かさだ新田との立会であり、鎮守の神明社も同村との立会で祀られていること(員弁雑志)と合せ、笠田新田との関係の深いことが知られる。

村域内の寺社として、神明社のほか、前記案内帳に八幡宮牛頭ごず天王・弁財天(以上、大泉新田・笠田新田・宇野村立会)大谷神社・不動堂・道場などを載せる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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