大洲鉄然(読み)おおずてつねん

改訂新版 世界大百科事典 「大洲鉄然」の意味・わかりやすい解説

大洲鉄然 (おおずてつねん)
生没年:1834-1902(天保5-明治35)

幕末・明治の護法活動僧。周防国の真宗本願寺派覚法寺の人。同地同派の勤王僧月性(げつしよう)の薫陶をうけた。1863年(文久3)京都で南渓師事,護法策を講じ,帰藩して僧侶数十人と義勇隊に入り,翌年真武隊を編成。65年(慶応1)寺を継ぐ。翌年護国団を組織して幕府の長州再征と戦い,また藩に真宗風紀改正を建議した。68年(明治1)同郷の島地黙雷赤松連城らと本山改革に参加,また政府教部省の宗教行政に反対し,島地の政教分離運動に同調した。79年法主の寺務所東京移転計画に反対して辞職,88年復帰して執行長など要職を歴任した。日清戦争の際の軍隊布教や海外伝道にも努めた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大洲鉄然」の意味・わかりやすい解説

大洲鉄然
おおずてつねん
(1834―1902)

幕末から明治期の浄土真宗本願寺派の僧。周防国(すおうのくに)大島郡覚法(かくほう)寺(現、山口県周防大島町)の生れ。僧月性(げっしょう)の仏法護国論に共鳴し、幕長戦争の際は僧侶隊を組織して陣頭指揮をとり幕府軍と戦った。明治維新後、同郷の島地黙雷(しまじもくらい)らと西本願寺の教団改革に取り組むと同時に、神仏分離政策に反対して寺院寮や教部省の設立に尽力するなど、仏教界を代表して新政府との折衝にあたった。江戸時代に浄土真宗禁止政策がとられていた鹿児島での開教や海外布教でも活躍した。

児玉 識]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大洲鉄然」の解説

大洲鉄然 おおず-てつねん

1834-1902 幕末-明治時代の僧。
天保(てんぽう)5年11月5日生まれ。浄土真宗本願寺派。幕長戦争の際,真武隊,護国団を組織して幕府軍とたたかう。維新後,島地黙雷(もくらい)らと西本願寺の改革につくし,明治6年大教院の宗教行政に反対して真宗分離運動を指導した。21年本山の執行(しゅぎょう)長。明治35年4月25日死去。69歳。周防(すおう)(山口県)出身。名は別に願航。幼名は要。字(あざな)は後楽。号は石堂,九香。

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