法源寺(読み)ほうげんじ

日本歴史地名大系 「法源寺」の解説

法源寺
ほうげんじ

[現在地名]松前郡松前町字松城

正式には大本山総持寺北海道別院法源寺。近世の松前城下てら町に所在。文化(一八〇四―一八)頃の松前分間絵図によると法幢ほうとう寺の東方にある。曹洞宗、松前山と号し、本尊釈迦如来。文明元年(一四六九)アイヌの経略に懊悩する武田信広を救うため、同郷の禅僧随芳が若狭から海路奥尻おくしり島に渡り草庵を結んだことに始まると伝える(寺院沿革誌)。なお宝暦一一年(一七六一)の「御巡見使応答申合書」によれば延徳二年(一四九〇)建立、三春みはる(現福島県三春町)龍穏りゆうおん寺の末寺

延徳二年武田信広の拠る勝山かつやま(現上ノ国町)に移り、寺号を法源寺と称した。永正一一年(一五一四)信広の長男光広の福山移転に従い、松前山と称したとされる。同一六年以降四〇年間住持不在であったが、永禄二年(一五五九)出羽檜山ひやま国清こくせい(現秋田県能代市)の源瑞を請じたのを機に国清寺末となる。


法源寺
ほうげんじ

[現在地名]弘前市新寺町

新寺しんてら寺院街の西端に位置。専徳せんとく寺の西隣にある。遍照山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。もと真教しんきよう寺末寺。

浄土真宗一派縁起(市立弘前図書館蔵)によれば、油川あぶらかわ(現青森市)に文明一三年(一四八一)敬了によって開基され、天正一〇年(一五八二)浪岡なみおか(現南津軽郡浪岡町)に移されたという。藩祖津軽為信により弘前城下へ移転され、慶安四年(一六五一)現在地に移ったとする。


法源寺
ほうげんじ

[現在地名]西区上小田井一丁目

江北山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊薬師如来。天文二二年(一五五三)津田又六郎(織田信張)の母陽徳院殿心庵了悟大禅定尼が政秀せいしゆう(現中区)開山沢彦の弟子慶首座を開山として創建した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「法源寺」の解説

法源寺

北海道松前郡松前町にある曹洞宗の寺院。山門は江戸時代中期に建築され、国の重要文化財に指定されている。

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世界大百科事典(旧版)内の法源寺の言及

【松前[町]】より

…福山(松前)城跡(史)には本丸御門(重要文化財)が残り,また桜の名所として知られる。付近に法幢(ほうどう)寺,北海道最古の建築という山門のある法源寺,旧城門を山門とする阿吽(あうん)寺,背後の台地上に安東氏の館のあった大館(おおだて)跡がある。渡島大島は北限のオオミズナギドリ繁殖地(天),また松前小島はケイマフリ,ウミガラスなど海鳥の大繁殖地で,天然保護区域に指定されている。…

※「法源寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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