大網堂跡(読み)おおあみどうあと

日本歴史地名大系 「大網堂跡」の解説

大網堂跡
おおあみどうあと

[現在地名]泉崎村北平山・関和久

北平山の古寺きたひらやまのふるでら関和久の中宿せきわぐのなかじゆくにまたがってあった。境内は東西一五間・南北一二間。文治年中(一一八五―九〇)信夫しのぶ(現福島市)の庄司佐藤基治の妻が夫に先立たれ、先に源義経に従い平家追討のため西国に赴いた子継信・忠信兄弟の生死を案じ、この地まで来て兄弟の死を知り嘆き悲しんで尼となり、当地に草庵を結び夫基治と兄弟の菩提を弔い、基治の念持仏の聖徳太子造の阿弥陀像の霊夢により、米をもって池を埋め一宇を建立した。時の人は大網の御堂または大海堂といったという。尼の没後西念さいねん寺と号して法相宗の寺院となった。

永仁年中(一二九三―九九)本願寺三世如信が当地に立寄った際に、西念寺住職淵巌が如信の高徳に伏して以後真宗となり、寺も大網堂と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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