大美御殿跡(読み)うふんみうどうんあと

日本歴史地名大系 「大美御殿跡」の解説

大美御殿跡
うふんみうどうんあと

[現在地名]那覇市首里真和志町二丁目

首里城の城外西方にあった琉球国王の別邸。大美殿とも記され、ウフンミウドゥン、ウフミウドゥンとよぶ。首里古地図によると、綾門大あいじよーうふ道の北側に位置し、東は浦添按司屋敷(浦添御殿)、西は道を挟んで中城なかぐしく御殿、北は梶木植所、南は綾門大道を挟んで安国あんこく寺と相対している。入口は北西境から少し東に入った位置にあり、石垣に囲まれた敷地内部の建物(八棟)など各施設の配置がうかがえる。石垣の北側と西側には門が置かれ、敷地の中央部には四棟の建物がロの字型に配されている。ほかに北側の石垣に並行する建物、東側の石垣に並行する建物や垂直に位置する建物、西側の石垣に並行する建物がみえる。間切集成図でも西に位置する中城御殿とともに大美御殿と記載される建物が確認できる。

中山世譜」嘉靖二六年(一五四七)条によると、尚清王が法司に命じて造営し、同年八月に起工、翌年一二月に竣工した。敷地は尚清王が世子時代に首里に造営していた別邸であった。時に諸神が出現する禁中宮殿は清潔を求められるとして、出産・喪礼、春秋節に夫人・女子・宮女らが利用できる場として三殿を増築、整備して大美殿と名付けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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