伊平屋島(読み)いへやじま

日本歴史地名大系 「伊平屋島」の解説

伊平屋島
いへやじま

沖縄島北端(辺戸岬)の北西約三五キロにあり、沖縄県の有人島のなかでは最北に位置する。島の北端はおよそ北緯一二八度五分三〇秒・東経一二八度一分二〇秒。面積二〇・五九平方キロ。最高点(賀陽山)の標高二九三・九メートルの高島。島は北東―南西方向に延びる細長い形で、長さ約一四キロ、最大幅約三キロ。島の骨格をなす山地・丘陵地は島軸に沿って北東―南西方向に並ぶが、連続するのではなく、五つほどの山塊に分れている。このため島を洋上から眺望すると、複数の島々が連なる列島のように見える。山塊を構成する主要地質は中生代古生代のチャート(前岳層)と中世代の砂岩頁岩互層(田名層)である。山塊周辺には第四紀の礫層(前泊層)が造る標高五〇メートル以下の砂礫台地が分布する。山塊間には比較的広い沖積低地(谷底低地)が分布し、稲作を支える地形的基盤をなしてきた。海岸部には砂丘や堤洲が多く分布する。

〔先史時代より近世へ〕

貝塚時代早期からグスク時代の遺跡が多数確認されている。島の東側にある前泊まえどまり集落の北側にある久里原くさとばる貝塚(県指定史跡)は早期から後期の遺跡である。遺跡の東側では早期の条痕文土器や室川下層式から中期に至るまでの各時期の土器や、前期の奄美系土器が出土している。西側は後期の遺跡である。前期の遺跡にはこのほか島尻第一しまじりだいいち貝塚(前期―中期)・島尻第二貝塚(前期)がある。貝塚時代後期の遺跡としては島の北側海岸の砂丘地に形成された東原ひがしばる貝塚が発掘調査されている。くびれ平底土器を主体にした時期で、地炉やヤコウガイ製貝匙が出土している。後期の遺跡にはこのほか東カジナばる貝塚・田名西だなにし貝塚・アシチばる貝塚・我喜屋がきや遺物散布地・テライばる遺物散布地がある。グスク時代の遺跡には我喜屋集落の拝所一帯に形成された上里うえざと遺跡と、田名集落背後の急峻な丘陵上に石積みを巡らした田名だなグスクがある。遺物は採集されていない。

「おもろさうし」巻一七の四二に「ゑひや」、「海東諸国紀」所載の琉球国之図に恵平也山とみえ、「去琉球二十里」とある。古琉球の間切・シマ制度下で「ゑひや」、近世の間切・村制度下で伊平屋いひや島と称された行政単位を構成する島の一つ。慶長一六年(一六一一)九月一〇日の樺山久高外四名連署琉球納物目録(旧記雑録)に「与部屋」など一〇ヵ島がみえ、芭蕉布三千端・上布六千端・唐苧一千三〇〇斤・綿三貫目・棕櫚綱・筵・牛皮などを納めることになっていた。

伊平屋島
いひやじま

沖縄島の北西海上に浮ぶ伊是名・伊平屋両島で構成される間切に準ずる行政単位名。方音ではイヒャジマ。属島の具志川ぐしかわ屋那覇やなは屋之下やのした降神うるがみ野甫ぬほの五島を加えて伊平屋の七離とも称された。近世は国頭方のうちで、明治一二年(一八七九)廃藩置県直後は那覇役所の所轄となり、一八九六年沖縄県郡区制施行に伴い島尻郡に属した。「中山世譜」巻三や「球陽」英祖王五年(一二六四)条など正史に景定五年(一二六四)伊比屋島などが中山王英祖に入貢したとある。「おもろさうし」巻一七の四二に「いちへな」「ゑひや」の島名で登場し、「海東諸国紀」所載の琉球国之図に伊是那・恵平也山とみえる。「中山伝信録」などの冊封使録では両島をさして葉壁山ようへきざんと称する。古琉球期の間切・シマ制度下では両島を合せて「ゑひや」と称した。万暦一五年(一五八七)七月八日の伊平屋の首里大屋子宛辞令書(県立博物館蔵、県指定文化財)に「ゑひやのなかた」とみえ、国王の名で仲田なはだ(現伊是名村)に所在する里主所が首里大屋子に与えられている。仲田は伊是名島に所在するシマ(村)名であるから、この「ゑひや」は島名ではなく、行政単位名である。

近世は伊平屋島と記され、伊是名いじな勢理客じつちやく・仲田・諸見しゆみ(以上伊是名島、現伊是名村)田名だな我喜屋がじや島尻しまじり野甫ぬふ(以上伊平屋島、現伊平屋村)の八ヵ村が属し、番所は伊是名村に置かれていた。正保国絵図では琉球国のうち「恵平屋えへや嶋」とみえ、高五四一石余、「伊是那いぜな嶋」とみえ、高七五〇石余で、島廻二里一八町。絵図郷村帳には伊平屋島のうちに伊是那島・恵平屋島とみえる。琉球国高究帳では両島の合高一千二九一石余のうち「伊是那嶋」の合高七五〇石余、「恵平也嶋」は合高五四一石余。里積記の諸村位定では島内八ヵ村はともに田下・畠下。乾隆二四年(一七五九)の原取納座国頭方定手形(琉球産業制度資料)によれば、一ヵ年の浮得はクリ船(刳船)六五艘・納銭六五貫文、綱三二桁・納銭一七貫六〇〇文。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊平屋島」の意味・わかりやすい解説

伊平屋島
いへやじま

沖縄県北部にある島で伊平屋伊是名諸島(いへやいぜなしょとう)の一つ。伊平屋村の主島でもある。面積20.59平方キロメートル。最高点は294メートルの賀陽(かよう)山。全島、古生層の山地からなるほかは、山地間に小規模な沖積低地が発達する。海岸は裾礁(きょしょう)のサンゴ礁で取り巻かれ、海岸砂丘の発達が顕著である。人口1253(2009)。

[目崎茂和]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊平屋島」の意味・わかりやすい解説

伊平屋島
いへやじま

沖縄県沖縄島北西方の伊平屋諸島の主島。伊平屋村に属する。那覇市から北西約 100km,北東―南西に細長く,約 14km,幅は最大約 3km。山地が多く,海岸にサンゴ礁が発達。米,サトウキビの栽培が行なわれる。最高点は賀陽山(294m)。面積 20.59km2。人口 1430(2005)。

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デジタル大辞泉プラス 「伊平屋島」の解説

伊平屋島

沖縄県島尻郡伊平屋村(いへやそん)に属する沖縄最北端の島。沖縄本島北端の辺土(へど)岬から北西約35キロメートルに位置する。面積約20.59平方キロメートル。島は南北に細長く、標高200メートルほどの山が連なる。島北端の伊平屋灯台の手前にあるクマヤ洞窟は県の天然記念物

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世界大百科事典(旧版)内の伊平屋島の言及

【伊平屋伊是名諸島】より

…沖縄県,沖縄島(本島)の北西に位置し,伊平屋島,伊是名島を主体とし,野甫島,具志川島など7個の島よりなる諸島。俗に〈伊平屋の七離れ〉と称し,また伊是名島を前地,伊平屋島を後地(くしち)とも呼んだ。…

※「伊平屋島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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