大藪洗堰跡(読み)おおやぶあらいぜきあと

日本歴史地名大系 「大藪洗堰跡」の解説

大藪洗堰跡
おおやぶあらいぜきあと

長良川大榑おおぐれ川の分流点にあった洗堰。大榑川洗堰とも称した。工事は鹿児島藩による宝暦治水の際、油島あぶらじま締切工事・ぎやく川洗堰締切工事とともに三大難工事とされた。大榑川の河床は長良川より約二・五メートル低いため、出水時には長良川の水は大榑川を導水路のように乱流し、輪中での破堤・入水が頻発した。寛延四年(一七五一)関係諸村は大藪村とかつ(現海津郡平田町)両岸から堰を築き、水勢緩和を図る食違堰を自普請で築造したが、根本的な解決とはならなかった。宝暦三年(一七五三)一二月鹿児島藩に手伝普請が命じられ、当初は締切堤にする計画であったが、長良川筋上流部および対岸の諸輪中の反対などにより洗堰工法となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む