20世紀日本人名事典 「大西愛治郎」の解説
大西 愛治郎
オオニシ アイジロウ
- 生年
- 明治14(1881)年8月26日
- 没年
- 昭和33(1958)年11月29日
- 出生地
- 奈良県宇陀郡宇太村
- 旧姓(旧名)
- 岸岡
- 経歴
- 明治32年奈良師範在学中に天理教入信、母の死で退学、33年上京、34年群馬県安中市で布教生活。36年奈良支教会所に帰り、翌年大西トラと結婚、大西家を継いだが、同年山口県に出向、39年全財産を天理教に献納し、40年山口宣教所所長、43年に岡山教務支庁主事。大正2年、宣教所の一室に籠居中、自己が生き神甘露台であり、教祖中山みきに続く天啓者であると自覚し、「ほんみち」を開教した。しかし天理教の在り方を批判して13年、同教から追放された。14年奈良県で天理研究会を設立。昭和3年天皇の神性と日本統治を否定し、大西甘露台の神政実現を主張する「研究資料」を各界に配布して500人が検挙され、180人が不敬罪で起訴されたが、大西は精神異常者として無罪。6年本部を大阪に移し、13年再び同主旨の「書信」を全国に配布、400人が検挙され、237人が不敬罪などで起訴され、布教活動を禁じられた。教団は全財産の3分の1を国防献金の名で没収され、大西は非転向で法廷闘争を続けたが、敗戦直後、占領軍命令で政治犯として釈放された。21年大阪府羽衣で教団を再建したが、25年病に倒れ、33年病没した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報