天良山城跡(読み)てらやまじようあと

日本歴史地名大系 「天良山城跡」の解説

天良山城跡
てらやまじようあと

[現在地名]三次市向江田町

北から西山麓にかけて国兼くにかね川が流れる標高三一二メートル・比高一三〇メートルの天良山にあった中世の山城。「芸藩通志」に「建武年間、江田源八泰氏所居」と記す。国兼川を挟んで対岸一・三キロにある出城茶臼山ちやうすやま城と対峙するが、当城南麓の丘陵には江田氏の館跡とみられる「土居」の地名が残る。

一三世紀後半、広沢実村の子実綱は江田庄を継承して江田氏を名乗るが、天良山城はその本拠で南北朝期頃の築城。元弘三年(一三三三)後醍醐天皇が隠岐国より伯耆国へ還幸した折にはせ参じた備後国の武将のなかに江田氏の名がみえる(太平記)が、延元元年(一三三六)六月には足利尊氏方に属して比叡山攻めに加わり、「太平記」巻一七(山攻事付日吉神託事)は「爰ニ数万人ノ中ヨリ只一人備後国住人、江田源八泰氏ト名乗テ、洗革ノ大鎧ニ五枚甲ノ緒ヲ縮、四尺余ノ太刀所々サビタルニ血ヲ付テ」、杉本山神大夫定範と組討ちした活躍ぶりを記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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