天野重知(読み)アマノ シゲノリ

20世紀日本人名事典 「天野重知」の解説

天野 重知
アマノ シゲノリ

昭和・平成期の農民運動家 忍草国有入会地守る会会長;元・忍野村(山梨県)村長。 北富士農民運動の指導者。



生年
明治42(1909)年1月1日

没年
平成15(2003)年12月30日

出生地
山梨県南都留郡忍野村忍草

学歴〔年〕
都留中卒

経歴
もとの家業は富士山自動車の経営者。北富士闘争の中心人物で、昭和13年陸軍北富士演習場買収を完了すると同時に、入会権を認めさせる交渉を開始。闘争の原点である入会権の思想と法研究に打ち込む。戦前の忍野村村長時代には東京電灯(現・東京電力)ダムによる田畑被害補償を、農民の実力行使で勝ち取った。戦時中はしばしば留置されながらも、運輸業の統合に反対。戦後は農地解放に尽力すると共に、“忍草(しぼくさ)入会組合”を結成、江崎真澄、藤枝宗介ら歴代の防衛庁長官単独会見するなど行動力を発揮して、入会慣行の尊重と早期返還実現の運動を続けた。48年組合長。反基地運動を続ける“忍草母の会”結成の発案者とされる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天野重知」の解説

天野重知 あまの-しげのり

1909-2003 昭和-平成時代の農民運動家。
明治42年1月1日生まれ。山梨県忍野村(おしのむら)忍草(しぼくさ)の地主でバス会社を経営。戦前,陸軍が買収した北富士演習場への地元民の入会(いりあい)権をみとめさせ,また忍野村村長となり,東京電灯(現東京電力)のダム建設による被害補償をかちとる。戦後の昭和22年忍草入会組合を結成し,演習場返還をもとめて座り込みなどの闘争をすすめた。平成15年12月30日死去。94歳。都留中学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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