太子(町)(兵庫県)(読み)たいし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「太子(町)(兵庫県)」の意味・わかりやすい解説

太子(町)(兵庫県)
たいし

兵庫県南西部揖保郡(いぼぐん)の町。1951年(昭和26)斑鳩(いかるが)町と石海(いわみ)、太田の2村が合併して成立。1955年竜田(たつた)村を編入。姫路平野の西部にあって町域はほぼ平坦(へいたん)である。国道2号が東西に走り、29号、179号を分岐する。またJR山陽本線と東海道・山陽新幹線が通過するが駅はない。町域の大半を占めた鵤荘(いかるがのしょう)は聖徳太子の施入(せにゅう)で法隆寺領となり、中世まで続いた。平安時代に斑鳩寺(地元では「はんきゅうじ」とよぶ)が建立されるとその門前町として栄え、江戸時代には山陽道の宿場町となった。現在は播磨(はりま)臨海工業地域の後背地として急速な都市化が進み、農業は施設園芸や畜産を取り入れ、工業は電子部品、デバイス、電子回路、鉄鋼業などの工場がある。斑鳩寺には室町時代の三重塔や、平安時代末期の紺紙金泥釈迦(しゃか)三尊十六羅漢像5幅など国指定重要文化財が多く、2月と8月の会式(えしき)は参詣(さんけい)客でにぎわう。鵤荘の境界を示した牓示(ぼうじ)石が4か所(5基)残っている。面積22.61平方キロメートル(境界一部未定)、人口3万3477(2020)。

大槻 守]

『『太子町史 史料編』(1970・太子町)』『栗岡清高著『法隆寺領鵤庄』(1976・私家版)』『『太子町史』全4巻(1990~1996・太子町)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例