出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県揖保(いぼ)郡太子(たいし)町にある天台宗の寺。斑鳩の太子ともよばれる。もとは大和(やまと)国(奈良県)法隆寺(ほうりゅうじ)の別院であった。推古(すいこ)天皇が聖徳太子の『勝鬘経(しょうまんぎょう)』『法華経(ほけきょう)』講説に感動して土地を与え、太子は、その地を鵤荘(いかるがのしょう)と名づけて一伽藍(がらん)を建立したのが当寺の創建である。1541年(天文10)4月兵火にかかって堂塔すべて焼失したが、弘治(こうじ)年間(1555~1558)昌仙(しょうせん)法師らにより再建、その後は天台宗に属した。寺伝によれば、往時、山内には36の子院(しいん)(末寺)があったという。室町時代の建築である三重塔のほか、寺宝の絹本着色『聖徳太子勝鬘経講讃(こうさん)図』、紺紙金泥『釈迦(しゃか)三尊図』『十六羅漢像図』5幅、十二神将木像8躯(く)、日光・月光菩薩(ぼさつ)像などが国の重要文化財に指定されている。
[中山清田]
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…598年(推古6)4月15日(推古14年秋7月ともいう),聖徳太子が天皇の施入をうけて法隆寺に寄進したのに始まるという。11世紀中葉ころ四至が確認されて再興されたらしく,鵤荘政所を兼ねる斑鳩寺が建立されるのもこの時期らしい。鎌倉時代,源頼朝は後白河院院宣に従って1187年(文治3)地頭金子家忠の押領停止(ちようじ)を命じ,また1227年(安貞1)には承久の乱後の新補地頭青木重元が,本所法隆寺の訴えによって停止されている。…
…石や塼(せん)の建築は,日本では内部空間のない記念碑的なものしか造られなかった。斑鳩寺(いかるがでら)(若草伽藍)や四天王寺など7世紀初頭に発願された寺は,中軸線上に中門,塔,金堂,講堂を縦に順に並べ,回廊は中門から講堂を結び堂塔を囲む。造営に長年月を要し四天王寺の完成は7世紀後半であった。…
…奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗の大本山。法隆学問寺・斑鳩(いかるが)寺(鵤寺・伊可留我寺)ともいう。推古天皇・聖徳太子創建の七ヵ寺の一つ。…
…山号は刀田山(とださん)。〈刀田の太子〉と俗称され,揖保郡太子町の斑鳩寺(はんきゆうじ)の〈鵤(いかるが)の太子〉とともに,播磨の太子信仰を二分する。寺伝では,587年(用明天皇2)聖徳太子が秦河勝(はたのかわかつ)に命じて三間四面の精舎を建立,自作の釈迦三尊と四天王像を安置したのに始まり,718年(養老2)武蔵国大目身人部春則(みひとべのはるのり)が七堂伽藍を修造,刀田山四天王寺と号したという。…
…播州平野西部に位置し,西部を林田川,中央部を大津茂川が流れる。聖徳太子ゆかりの地で,古代には法隆寺領鵤(いかるが)荘が設けられ,同荘の政所をかねた斑鳩(はんきゆう)寺が建立された。播磨工業地域に含まれ,電気機械,マッチ製造などの工場が多く,中央を国道2号線が横断し,179号線を分岐するなど,交通の便もよい。…
※「斑鳩寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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