太平洋信託統治諸島(読み)たいへいようしんたくとうちしょとう(その他表記)Trust Territory of the Pacific Islands

日本大百科全書(ニッポニカ) 「太平洋信託統治諸島」の意味・わかりやすい解説

太平洋信託統治諸島
たいへいようしんたくとうちしょとう
Trust Territory of the Pacific Islands

太平洋西部の赤道以北、ミクロネシアのほぼ全域に及ぶ島嶼(とうしょ)群で、第二次世界大戦前は日本の委任統治領、戦後はアメリカ信託統治領となっていた島々。北部のマリアナ諸島、中西部のカロリン諸島東部マーシャル諸島の三つからなり、アメリカ自治領のグアム島は含まれない。これらの諸島は16世紀にマジェラン以下の航海者によって次々に発見され、スペインが1565年マリアナ諸島を領有、アメリカ、イギリス、ドイツの捕鯨者や商人も相次いで来航した。このうちドイツは、イギリスの同意を得て1886年マーシャル諸島を支配することになった。スペインがアメリカとの戦いに敗れた1898年、この地域が再編され、アメリカがグアム島を領有したほかは、マリアナ、カロリン両諸島もドイツの統治下に置かれることになった。第一次大戦後に設けられた国際連盟は、敗戦国ドイツの植民地を没収してその統治権を戦勝国に分担委任したが、カロリン、マリアナ、マーシャル各諸島は1919年ベルサイユ条約により日本の委任統治領(南洋諸島)となり、日本の国際連盟脱退(1933)後も委任統治は認められた。

 第二次大戦後は国際連合の下にこの全域がアメリカの太平洋信託統治領となり、一時グアム島に行政の中心を置いたが、1962年これをサイパン島に移した。信託統治領はマリアナ、パラオ、ヤップ、トラック、ポナペ、コスラエ、マーシャルの7行政区に分かれていたが、76年北マリアナ連邦分離(自治政府発足は1978年)に伴い、行政中心をポナペ島に移した。のち、さらに、パラオ(ベラウ)共和国(1981)、ミクロネシア連邦(1979)、マーシャル共和国(1979)がそれぞれ分離した(括弧(かっこ)内は自治政府発足年)。1986年、ミクロネシア連邦とマーシャル共和国はアメリカとの自由連合協定により事実上独立し、北マリアナ連邦はアメリカの自治領となり、1990年までにこれらの地域におけるアメリカの信託統治は終了した。1990年以降も信託統治が継続していたパラオ共和国は、94年アメリカとの自由連合協定発効に伴い独立し、ここに国連によるアメリカ信託統治は完全に終了した。

[大島襄二]

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